「…、」

白いA4程の画用紙に、赤青黄色、混ざった七色。そして黒。
でたらめに塗りたくられたそれは、色鮮やか、というレベルではなく。混ざっ
た色の分だけ重いように感じた。今日は天気も良く、普段掃除の行き渡らない
子供部屋の中の物を虫干しにでもしょうかと片づけていた時の事だった。





開店前の準備の一つに食器を用意する作業がある。使う食器類をふきんで丁寧
に拭くのがやしろの常なのだが。数枚拭かれた皿の傍らでどこか遠い所を見て
いる。それをカウンターを挟んだ所で色々な資料を眺めているのは桐生だ。ミ
ルクティー色の髪の間から焦げ茶の瞳を覗かせ、時計とやしろの顔を見比べな
がら、銜えていた煙草を灰皿に押し潰す。


「手、止まってんぞ」
「…え、あ…すみません」
「いや、謝らなくてもいいけどな。どうしたんだよ、」
「ちょっと、」
「ああ」
「…」
「…何だよ、」


タイミングを外されて、仕方なく桐生は聞き返した。やしろはやしろで話しで
良い物か迷っている様子だ。やはり、手は止まっていて、その動作を諦めたの
か手にしていた皿をゆっくりとカウンターに置いた。数十分かけて、磨き終わ
った皿は数枚しかない。


「…どういう事か分からなくて…どうしていいかも、」
「…頼むから主語述語入れて話してくれ」
「やっぱり母親がいないと駄目なのかもしれない」
「…お前が子持ちなんて初めて聞いたぞ」
「…拓の事なんですけど、」


一度考え事を始めてしまうと、やしろの言動は怪しくなりがちで、それを充分
に分かっている桐生は冷静にツッコミながら話を聞きだした。それに、同じく
慣れたように事情を話すやろ。

最近、自分の叔父の息子である拓の部屋で見つけた一枚の画用紙。それは、絵
というにはあまりにも幾何学な模様で。それの意味している事を恐れてやしろ
は桐生に問う。
拓の母親はすでに鬼籍の人となっている。それも小さい時の話で、気付けば父
親と二人暮らしだったと言う。


「…心理学…ってな、大学ん時にかじった程度だぞ」
「専門的な意見を求めてるわけじゃあないんですが」
「同じようなもんだ。その画用紙から分かるあのガキの精神状態だろ、しかも
何年か前の」
「四年前です。…ちょうど母さんが死んだ翌年、」
「…」


同じ大学だったが、学部が違ったやしろと桐生だが、お互いになにを取ってい
たかは知っていた。その上でのやしろの頼みだ。何かにつけてこなしてしまう
桐生は、その方面も一時期勉強していたという。もちろんそれは大学レベルで、
本格的に使える物だとは桐生自身思っていない。
しかし、目の前の困り、悩み果てている人物を前に無下に断る事は出来なかっ
た。


「…多色使うって事は、情緒は育ってるって事だ。物の形を成さない時は、精
神的に迷いがある時が多い。黒色は感情の悲しみ、苛立ち、ストレスから来る
場合がある。…でもな、やしろ、」
「そんなに悩んでいたなんて、気付かなかった…」
「…だから話すのは厭だったんだ…。いいか、今は正常、良好だ。もし何か悪
かったとしても過去の事だろ」
「…」


幾分、予想していたが、あまりにもの落ち込みように桐生は大きくため息をつ
いた。しかも、その落ち込みが自分からではなく、他人の事からきていること
は明白で、それが彼の良い所だということも分かっていたので、直せとも言え
ない。
無論、そう言って直るものではないだろうが。


「…それに、今の分析も統計学上の話で誰にでも当てはまる事じゃあない」
「でも確率が高い話なんですよね、」
「…お前、充分母親の素質あると思うぞ、」


拓には母親がいないから、こういう自体になっているのではないか。
やしろは確かにそう言ったし、実際いないことも事実なのだが。こうして小さ
い子供を心配する彼は、世間で言う母親よりよっぽど母親らしいのではないか
と桐生は再びついたため息の中でそう思った。







「クレヨンなんて欲しかったん、」
「うん、ありがとう、すおー兄ちゃん」
「懐かしーなぁ、久しぶりに見たで」
「じゃあ一緒に塗ろっか。画用紙がまだ残ってるんだ、」


周防と拓で買い出しに行った帰り。物欲しげな顔をしていた少年の目線の先に
昔懐かしいクレヨンがあった。何の気なしに買ってやり、荷物を下の店に置く
と一緒に拓の部屋に入る。本棚で一番下の幅の大きな所に画用紙が何枚かまと
めてしまってあり、それを拓は嬉しそうに持ってきた。
部屋の中の真ん中にある机の上にそれを広げると、買ってきたばかりのクレヨ
ンの箱を開け、次々と白い紙に色を走らせる。


「前から全部の色使いたくて。こーやってね」
「何で黒が多いんや」
「黒ってあんまり使わないから。だから最初になるべく使うんだ」
「ほー、よお考えるもんやな」
「それでね、ちゃんと描いたのは誰にも見つからないようにしてるんだ」
「何で、」
「だって、恥ずかしいでしょ」
「そんなもんなんや、」
「うん」


部屋にある拓の机の一番奥に、父親や年の離れた従兄弟の顔が描いてある画用
紙がしまってある。それはいつか見せようと取っておいてあるものだ。
当然、やしろはその存在を知らない。唯、試し書きに使われた画用紙を見つけ
ただけである。


やしろ、母親疑惑消えず。












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