ビデオショップ



じいちゃんの家は中途半端にリフォームをした為、歪な作りになっ
ていた。自分が住まう所は、ちょうどその境目だった。部屋を出て、
廊下を5、6歩歩くと別の部屋のドアの前に着く。それは、引き戸
でうまく開かない古めかしいものだった。昔、ばあちゃんが使って
いた部屋だった。

そのばあちゃんは今年の春に亡くなった。リフォームをしたのはそ
のあとだった。長男である親父に嫁いだ母は今がチャンスとばかり
に業者への連絡をしていた。タイミングがタイミングなだけにさす
がにやめろと言ったが、所詮子供の意見など受け入れてもらえない。
内心賛成していないじいちゃんも親父も声を上げることはなかった。

廊下はプラスティックのようにピカピカしている。踏めばぎしりと
鳴る板が懐かしく思える。ばあちゃんのゆっくりとした足音をよく
聞いていた。片足ずつ交互に踏み出すことは困難だった足が、一段
ずつ上がるその音。歩幅が小さくなってこんこんと扉が叩かれる。

たけちゃん、とか細い声が呼ぶ。一人しかいない孫だった。可愛か
ったんだと思う。

たまの休みに部屋でごろごろしていると、日に何度もそうして訪ね
てくる。いい加減煩わしく思い返事をしないこともあった。すると
もう一度扉を叩く。

こんこん

木の乾いた音。それがばあちゃんを彷彿とさせる。

「たけちゃん」

1度目と何も変わらない呼び方。いつもならそこでなんだよとぶっ
きらぼうに答える。だけどその日だけは言わなかった。扉の前に気
配が残っていた。それもしばらくすると、いつもの足音と共に離れ
ていく。

その後だった。

あ、と短い声がした。階段を何かが転がる音がする。ごつ、ごつ。
重いものが数回ぶつかる音がする。

音が、やんだ。

暖かい部屋のはずだった。窓から見える景色は日が差して、明るか
った。柔らかい色が溢れている。それなのに、ゲームのコントロー
ラを持った手の先から血の気が引いた。僅かに震える。ばあちゃん。
物を持っていられなくなって、コントローラを落とした。

ゲーム画面が主人公の死を告げていた。それでもその先を進めるこ
とは出来なかった。ばあちゃんは階段を踏み外して死んだ。オレは
最期まで部屋から出られなかった。ばあちゃんはオレの好きなまん
じゅうを握っていた。



通夜と葬式を終えた後、ばあちゃんの部屋を片付けていた。じいち
ゃんと一緒に遺品の整理をしたが、1つ手に取るごとに思い出話を
するので一向に進まなかった。

もともとそこまで散らかっているわけではない。この部屋は残して
リフォームを進めるということで落ち着いた。ばあちゃんの部屋に
はオレが昔一緒に撮った写真が飾ってあった。

「ばあさんはな、お前のことがなぁ、」

「お前のことがなぁ…」

持っていたばあちゃんの着物を握りしめていた。ぼたぼたと落ちる
涙がシミにならないか心配だった。もう着る人はいないのに心配す
るのも変だったが、ばあちゃんのものが変化してしまうのは良くな
いと思った。

じいちゃんはそれ以来、ばあちゃんの部屋には入らなかった。

あのビデオテープを見つけたのは、それから数カ月経った時だった。
今時ビデオテープか、とも思ったが妙に気になったので手に取った。
古めかしいテープ。どうやらレンタル品のようだった。返却期限を
見ると丁度今日。外に出るのも面倒な陽気だったが不思議と苦には
思わなかった。

ばあちゃんの足で行ける距離だ。そんなに遠くはないだろう。特に
深く考えず家を出た。

そのビデオショップは案外早く見つかった。いつも自分が歩くよう
な道ではなかった。いかにもご近所さんが周るような舗装されてい
ない道の先にあった。返却口に近づいた時に気がついた。なぜ返却
期限が今日なのか。あの部屋にはじいちゃんでさえ近づかない。自
分以外が出入りしたとでも言うのだろうか。

考えがまとまらないまま、ビデオを店員に返した。

「ご利用ありがとうございました」

何の変哲もない言葉。最初に感じていた違和感も次第に薄れていっ
た。内装もぼろく、特に観たいものもないだろうと店を出ようとし
た時だった。

「何か借りていかれませんか。お勧めのものがございますよ」

店員が声をかける。ビデオショップの店員だ。よっぽど暇なのだろ
う。こういった店で呼び止められたことなど初めてだ。促されるま
ま、ビデオの棚の前に足を進める。

〈4月5日〉

日付がタイトルという不思議なビデオだった。パッケージは色あせ
ていてどんな内容かも分からない。ただ、その日付はばあちゃんの
命日だった。

「またお越しくださいませ」

気がつくとビデオテープを借りて店を後にしていた。記憶があやふ
やなまま家につく。そのままテープをデッキに押し込んだ。隙間風
が吹き込んでいた。リフォームをしたのに、自分の部屋のドアの建
てつけは直らなかったらしい。むしろ、他をいじったせいで歪んだ
のかもしれない。

テレビは色褪せた映像を映していた。セピア色だが所々色が付いて
いる。ちょうど、自分が何かを思い出した時頭の中に浮かぶ映像の
ようだった。

『たけちゃん』

耳を疑った。ばあちゃんの声がした。空耳か、幽霊か。

『コンコン』

目の前のテレビからの音だった。乾いた音。ばあちゃんを思い起こ
させるようなドアの音。日付、ばあちゃんの声、この映像の場所。
あり得ないものを自分は見ていることに気付いた。

あの日だ。

ばあちゃんが死んだ、あの日の映像がここに映されている。

『たけちゃん』

2度目の呼びかけ。映像を見たい気持ちと、この後を見たくない気
持ちが入り混じる。暑くもないのに汗が出た。リモコンを握ってい
る手のひらはじっとりと湿っていた。だけれど、口は恐ろしいほど
に乾いている。自分がこの時呼びかけにこたえていれば、ばあちゃ
んは死ななかったかもしれない。

『なんだよ』

確かに自分の声だった。答えたかったという考えが強すぎて無意識
に声が出たのか。

『おまんじゅうだよ。おあがんなさい』
『…ありがと』

映像の中の自分が答えていた。画面は切り替わり、廊下を映す。ば
あちゃんがゆっくりゆっくり階段を下りて行った。特によろけるこ
とも、転ぶこともなく、ゆっくり下りて行った。

思わず停止ボタンを押していた。自分の行動とは別のことをした映
像の中の自分。急いでビデオを取り出し、ビデオショップに向かっ
た。

「あの、さっき返したビデオをもう一度借りたいんですけど!」

ばあちゃんの部屋にビデオがあった。何が映っていたのか。それが
どうしても気になった。自分のように悔いた行動でもあったのだろ
うか。

部屋に着くと、やはり隙間風が寒かった。しかしそんなことはどう
でも良かった。ばあちゃんが借りていたビデオも〈4月5日〉だっ
たのだ。

『たけちゃん』

同じ場面だった。ばあちゃんがまんじゅうを持ってオレの部屋の前
に立っている。細い、しわしわの手がドアを叩いた。返事はない。

『たけちゃん』

2度目の呼びかけ。同じ展開だ。現実では、この後応答がなかった
為そのまま階段へ行くのだ。自分が死んでしまうことを予期出来た
のではないだろうか。だとしたら、どうしてばあちゃんは死んでし
まったのか。

『たけちゃん』

3度目の呼びかけだった。現実にはなかったもの。別の行動をした
ばあちゃん。

『うるせーって、ったく…』

部屋から乱暴に出てきたオレ。不機嫌にばあちゃんを睨むと階段へ
向かった。そして、落ちた。足を踏み外して、「オレ」は死んだ。

ばあちゃんはこれを見ていたのだ。だから3度目の呼びかけをしな
かった。呼びかけずに階段を下りた。そして死んだ。オレが死なな
い行動を取った。

そしてばあちゃんはしんだのだ。


「ばあちゃん、」

「ば、ぁちゃん…」








ビデオショップはなくなっていた。なくなっていたというよりも、
もともとそんなものは存在しなかったようになかった。ビデオは何
も映っていないビデオになった。今思い出しても、夢だったのか現
実だったのかも分からない。

ばあちゃんの一周忌を迎えた。

あの日のことは、まだ誰にも話していない。














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