「やべっ…!」

一瞬の油断だった。倒したと思った兵士が起き上がり、眼前に剣を
振っている。直撃だ、と思った瞬間真横から突風が吹いた。次の瞬
間には、兵士の肩に矢が突き刺さり、目の前で倒れる。風だと思っ
たのは、もの凄い速さで飛んできた矢だった。自分の黒い髪が、今
の風で巻き上げられ、顔にまとわりつく。放った主は言うまでもな
い。
姿を確認しようと髪をかきあげ視線を向けると、いつものようにへ
らっと笑うレイブンの姿があった。


「壊れちったよ」


いつもと違うのは手元にある弓。一体、どんな無茶をしたのかと問
いたくなる程、見事に真っ二つに折れていた。弦で繋がれた弓であ
ったものを、首にぶら下げ、レイブンは折れた本体を振り回す。


「お、これもいけるんじゃなぁい?」
「…バカやってないで、戻るぞ」


ヌンチャクのように振り回すレイブンを見て、ユーリは大きくため
息をついた。







                              毀れた弓








「なんだか心もとないねぇ」


近距離用の短い刀を持って、レイブンは呟く。いつも持っているも
のがないのは手持ち無沙汰だ。弓ほど重みのない武器を懐にしまい、
出し、の繰り返し。


「我慢しなさいよ。それしかないんだから」
「予備の武器売って、防具買っちゃったもんね」
「ガウ」


年少組はこの中で一番年長であるはずのレイブンに対し、容赦なく
言葉を並べる。帝国に戻る途中の道は、他の場所よりも多少整備さ
れているので歩きやすい。その道でさえ足が重く感じるのは、また
街に戻らなければならない、という面倒な気持ちからだろう。言葉
を遮るようにラピードが吠える。彼も何か言いたげだ。


「あら、いいんじゃない?短剣で戦う姿も素敵よ」
「ホント〜?ぢゃあ、おっさん頑張っちゃうな〜」


足手まといにならなければ、という意味を含み笑うジュディスにレ
イブンはつられて笑う。いつも締まりなく緩んでいる表情はどこま
でが本物か分からない。不精さの残る頭をかきながら、また笑った。


「ユーリ、どうかした?」
「ん?なにがだ?」
「何か考え事してるみたいだったからさ」


パーティーの先頭を淡々と歩いていたユーリに、カロルが近づく。
あまり言葉を発さず、仲間の輪から離れている時は決まって考え事
をしている。抱え込みやすい性格を知ってからは、カロルは頻繁に
ユーリに声をかけた。しかし、ポーカーフェイスではぐらかされて
しまう。


「ガルド稼ぎは何がいいかと思ってな」
「ん〜…とりあえずの武器でいいならすぐなんだけどね」
「まあ、あの様子ならとりあえずでいいんじゃないか?」


言いながら、やや後方でジュディスと話しているレイブンを指す。
話が盛り上がっているのか、折れている弓を振り回し戦う気マンマ
ンだ。カロルは言わんとしている意味を悟り、半目でパーティー内
最年長の男を見た。


「…うん。一度休んでからでも大丈夫そうだね」







帝都についた一行はすかさず宿屋へ直行する。しかし人数が人数だ
けにひとつのところには一緒に泊まれそうにない。そこでエステル
が城の空き部屋へ泊まることを提案した。リタはエステルに連れら
れ、面白そうだわ、とジュディスが続き、お城に泊まりたい、とカ
ロルがその後に付いた。


「おっさんは行かないのか?」
「んー、まぁね。正直めんどいわ」


見送るかたちになった男にユーリは声をかける。素性を知れば歓迎
されるに違いない、とニュアンスを含ませる。しかし、いつも以上
に眉をハの字にし、レイブンは大げさに肩で息をついた。

軽く夕食を済ませ、部屋に戻る。ユーリは自室を、レイブンはその
隣の客室を使うことになった。ラピードは例に漏れず外で番をして
いる。開けた窓から涼しい風が流れ込む。レイブンはごろりとベッ
ドに寝転がり、ちかちかと光る星を眺めた。



コンコン



「はいはーい?」


ふいに扉を叩く音がする。レイブンの返事とほぼ同時に扉が開いた。
カチャリと扉の金具が鳴り、入って来たのはユーリだった。手には
酒瓶を持っている。


「ユーリ君、返事待ってから開けようよ」
「どーせ起きてただろ。一杯やらないか?」
「あら、珍しい。どゆことよ」


部屋に入り、空いているところに適当に腰を下ろすユーリを見なが
ら、レイブンは上半身を起こし、ベッドから足を下ろす。コップを
二つ床に空き、とぽとぽと酒を注ぐとユーリはそれを渡した。


「一応、お礼」
「へ、なんの、」


渡す際に控えめに言われた言葉にレイブンは聞き返す。お礼、と言
われるとむず痒い。今いるメンバーと行動を共にしてから揶揄され
てばかりだ。しかし、目の前の黒髪の男にそんな様子はなくあくま
で真剣のようだった。考えあぐね、なかなか一口目に行かないレイ
ブンを尻目に、ユーリは自分の分に口をつけた。


「弓壊してまで助けてくれたろ?」
「ああ、それね」


ようやく思い当って、レイブンはそのまま酒を含む。お子様がいる
このパーティーではなかなかこういう機会がない。久しぶりのアル
コールに体温が上昇するのを覚えた。


「守らなきゃって思ったら力みすぎちゃったのよね」
「今まで見た中で最速の矢だったよ」
「そりゃどうも」


はは、と笑いもう一口含む。ユーリも足を崩し、同じペースで飲ん
でいた。コップの中の酒の分量を見誤って少し零す。透明な液体が、
口の端から首筋へ垂れた。胸の開いた服は、その雫の行方を晒す。


「…フェロモン放出男…」
「は、」
「牛のちっちゃい坊主が言ってたっしょ。ユーリ君のこと」
「あー、マンタイクの、」
「おっさんも分かっちゃうなぁ〜と思ってね」
「…なんだそりゃ」


今度はユーリが笑い、酒を一口含んだ。一度落とした視線を相手に
戻す。ユーリは酒を飲む手を止めた。てっきり同じように笑ってい
るかと思った男が笑みを浮かべていない。まっすぐにこちらを見て
いた。視線に耐えられず、ユーリは床に一度置いたコップに自分の
視線を逃がす。


「お酒、進んでないんじゃない?」
「あ、ああ」
「さすがに一人で残りは空けられないよ〜?」


相手に視線を戻していないため、ユーリにはレイブンがどんな表情
で話しているのか分からない。それを確かめようとしても、なかな
か思う通りにはいかなかった。月明かりに浮かぶ部屋の中の影だけ
が、相手の動きを知りえる唯一の記号だ。その影がゆっくりとこち
らに近づく。


「ユーリ、」


低く、少し掠れた声が自分の名前を呟く。いつの間にか眼前に迫っ
ていた相手の顔をユーリはようやく目視した。灰色がかった前髪の
間から、鋭い目がこちらを捉えているのを見る。見た瞬間に見なけ
れば良かった、と後悔の念が頭を過ぎる。ふわり、と酒の残り香が
鼻先を掠めた。

「…っ」

息を詰めても何も変わらない。ゆっくり近づいた影は唇に感触を残
して離れる。ユーリは体が一気に火照るのを感じた。さっきまでど
こで脈打っていたのかと思うくらい、煩く心臓が跳ねる。


「…なんのつもりだよ」
「んー、ユーリ君の色気に勝てなくて」
「オレ、男だぞ」
「色気に性別は関係ないでしょー」


そう言うとレイブンは先ほどまでいたベッドに戻った。表情もいつ
もの表情に戻っている。いつもの、へらへらとした表情だ。それに
少しほっとし、ユーリは自分の心臓を落ち着けた。


「…帰る、」
「まだ残ってんよ」


その場で立ち上がり、なるべく顔を見ないようにユーリは部屋の出
口へ向かう。酒瓶を手に取り、振りながらレイブンは引き留めた。


「おっさん一人で飲んでくれ」
「あら、残念」


軽口を叩いているうちに、ユーリは足早に部屋を出ていく。それを
お酒片手に見送るレイブンにはいつもの笑みが浮かべられていた。
手で顎の不精髭をさすりながら満足気だ。


「たまには弓も壊してみるもんだねぇ」


コップに残っていた酒を飲みほし、レイブンはベッドに横たわった。
頭の後ろで手を組み、窓から空を眺める。先ほど見た時よりも月が
低い。相変わらず星は瞬いている。明日、最初になんと声をかけよ
うか。一つの楽しみを胸に、レイブンは眠りについた。














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