風が運ぶ言葉






「今月のレンタル率はタキがトップや。で、次がフジシロ、そん次
 はタクミやな。みんなこの調子で頑張り。…ツバサはちょお話あ
 る、奥に来ぃ」
「…」

月末に、個人の売り上げと、それに応じたランク付けがされる。そ
れによって檻の位置、食べ物の値段などが変わってくる。ランクが
上になればなるほど優遇されるというわけだ。

そのランク付けに毎月のように名を連ねていたツバサの名前がなく
なった。先月、先々月と売り上げが伸び悩み、今月ついにトップ3
から転落。売り上げ発表を終えて、シゲは店の奥の部屋、通称店長
の部屋にツバサを呼んだ。もちろん内容はその売り上げについてで
ある。

「リピーターの低下…ああ、客断ってんのもあんで。どないしたん」
「…どうもしないよ。調子が悪かっただけ」

毎日のようにつけられている記録を元に、レンタル率低下の原因を
列挙していく。しかし、それにツバサはそっけなく答えるだけだ。

「ツバサ」
「ほっといて、大丈夫だから」
「本当にどないしたんや」
「…分からないの、」

ヒドイ 酷い 
心地よいその声音で、そんなことを言わないで

「…何がや」
「シゲ、有給を貰いたいんだけど」
「…いつがええ」

シゲは結局何も訊かなかった。ツバサも何も話さなかった。耳とし
っぽは目立つから、帽子と幅のあるズボンをはいて。その時店にい
たフジシロにいってくる、とだけ言って。ツバサは初めて独りで店
を出た。

胸に、何かが詰まっていた。苦しくて苦しくて、はき出してしまい
たかったけれど、吐いた所でおさまらなかった。泣いてしまえば少
し和らぐ事を知ったのはいつだっただろうか。

酷い、夢を見た。
怖いというよりも、酷く痛い夢だった。

シゲが笑っている。誰かと笑っていた。自分もそこに行こうとする
のだけれど、黒い鉄格子が邪魔をしてそばには行かれなかった。呼
んでも自分の声は音にならず、きっと喉が裂けてしまったと思う程
叫んでも、シゲは気付かなかった。

夜中に目を醒ました。自分が泣いていることに気付く。きっとシゲ
の事が好きで、自分はどうにかなってしまった。しばらくした後で
様子を伺いに来た当人の胸の中で静かに確信した。

「…広い、なぁ」

突然の風に帽子が飛ばされそうになり、慌ててそれを両手で押さえ
る。風が吹いた方を見た。川に架かった橋。続く街並み、どこまで
も続いているだろう、空。井戸の中の蛙なんてよく言うけれど。あ
の鉄格子の中からの外の景色なんて、今自分が目にしてるほんの一
部でしかない。

シゲや、他の客だって。この広い世界を行き来しているのだから。
自分の事がその目に映らなくなる時だってあるに違いない。夢はそ
の予兆だったのだろうか。

あの晩、ナルミと目が合った。合ったような気がした。泣いていた
自分に気付いたのだろうか。シゲよりも早く、気付いていたのかも
知れない。だけれど、自分が行き着くところはシゲなのだ。

「好きだよ、シゲ」

風が吹く。言葉が飛ばされる。自分も飛ばされてしまえばいい。









「こんな寒いとこ、」

ツバサがいたのは近くの河川敷だった。街並みの向こうに浮かぶ夕
日に、結構な早さの雲が通り過ぎていく。シゲはその西日に目を細
めて、その視界の中でうずくまっていた猫をやっと見つけた。

「…帰ろうや、ツバサ」

自分も座り、その薄い肩に手を置く。風に晒された時間がよく分か
る。埋めていた顔を少し上げ、大きな瞳がシゲを覗いた。その瞳に
夕日が差し込み、オレンジのグラデーションが見える。細くなった
瞳孔から外にかけて薄くなっていく色。数回瞬いた後、静かに閉じ
てこちらに目を向けないまま立ち上がった。

「帰ったらホットミルク飲んで、温まり」
「…」

帰る様子を見せたツバサにほっとし、自らも立って冷たくなってい
る手を繋ぐ。シゲは探し回って熱くなっていたので、その体温は心
地よかった。このまま手を引いて帰ろうとした、その時、強い風が
吹いた。

「あ、」

その風にあおられたツバサの帽子が勢いよく風に乗って川の方へと
飛んでいってしまう。それを目で追って、どうにも取り戻せないな、
と踏んでシゲは追うのを諦めた。と、同時に、手を繋いでいたツバ
サが腰に抱きつく。彼の両手は帽子をおさえることをしなかったよ
うだった。

「どないした、ん?」
「シゲ、…オレ…」

帽子がなくなり、寒さに震えているのかツバサの耳をそっと撫でる。
その下から小さな声が聞こえていた。琥珀の髪が夕日に透ける。だ
けれど落とす影でツバサの表情は見ることが出来ない。

「…。オレ、明日から頑張るから」
「おう、気張って働き?まぁ今日はちゃんと休むんやで?」
「…、うん」

軽く抱き返すと、ツバサの体は静かに離れていった。手は繋いだま
ま帰路につく。言いかけていた言葉を、シゲは分かった気がした。
けれど、聞くことはない。

ツバサにつく客の中に、もっと想うことの出来る人に会ったなら。
動物の耳を、尾を持つ者を受け入れてくれる人が現れたなら。自分
よりも、その誰かを選ぶようなことがあれば。自分とツバサはただ
の仕事仲間で割り切れるだろうから。

「なぁツバサ。今、幸せか?」
「…うん、しあわせだよ」

誰かが彼を幸せにしてくれるならいい。願わくばそれが自分である
事を祈る。今、出来ることは、手を繋いで帰ること。そして、ホッ
トミルクをあげること。それ以上はしない。









風で飛んでいった言葉がある。
いつかそれが届くまで。
側にいさせてください。













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