現状に文句がないと言えば嘘になる。不満と言っても嘘になる。自
分を必要とするファミリーがあり、街の皆ともうまくやっている。
頼もしい部下に恵まれて、机に山積みになった書類を検閲する日々
だ。それなりに気を遣って恋人にしばしの別れを告げて数日。ディ
ーノは書類の海に突っ伏した。











                                                            ジャッポーネから愛を込めて




    



「ボス。仕事してくれ」


キャバッローネの実質ナンバー2が溜め息混じりに言葉を発する。
イタリアのアジトにボスが戻り、ようやく溜まっていた仕事の処理
が進むかと思いきや、この現状だ。何度同じ言葉を言ったのかと考
えると頭痛までしてくる。眼鏡を取り、ロマーリオは目頭を抑えた。  


「だめだ。恭弥が足りねぇ」
「聞き飽きた」
「…帰りてぇ」
「あんたの家はここだろう」  


不満そうにディーノは口を尖らせた。子供のままだとからかわれる
表情を自制する余裕もなくなりつつある。それを見てロマーリオが
何度目か分からない溜め息をつき、ティータイムにするか、と部屋
を出て行った。ぱたん、と音を立てた部屋は間違いなく自分の部屋
だ。キャバッローネの10代目になってからずっと使っている自室。
それなのに違和感を覚えている。理由はとうに分かっていた。  


「…今頃何してっかな」


遠い地、日本にいる恭弥を思う。きっと日々変わらず並盛を守って
いるのだろう。自分と同じようにお茶でも飲んでいるかもしれない。
自分がいてもいなくても、変わらず。  


「…だめだ、へこむ」  


自分の想像にダメージを受けるあたり、精神状態は良くはない。彼
を渇望するのはいつものことだが、今回は少し違っていた。日本を
発つ時の別れ際。今までなら別れを惜しむディーノに対して、まだ
いたの、と言わんばかりの視線を受けた。実際に早く行きなよ、と
急かされたこともあった。しかし、今回は恭弥からキスをしてくる
という奇跡が起こったのだ。どういう心境の変化かは分からないが、
そういった行動をすることは滅多にない。もしかしたら皆無だ。そ
の瞬間、嬉しかったのは間違いない。しかし、その分今の寂しさが
増していた。 


「ボス、外出るぞ」
「何かあったのか」
「隣町に交渉に行ってた奴らが揉めてるらしい」 


どうやら思いにふけっている時間もないようだ。お茶の準備をして
いたはずのロマーリオが慌ただしく部屋に入って来た。ファミリー
の中には外部との交渉を仕事とする人員がいる。特にキャバッロー
ネは平和解決を第一目標とする珍しい集団だ。交渉役には相応の人
材を配置していた。話し合いで解決出来る問題はなるべく沿うよう
に行動している。 


「今日の交渉は薬の件だったか」
「ああ。万が一戦闘になるとかなり分が悪いな」
「…急ぐぞ」 


取り仕切るシマが大きければ大きいほど、外部との摩擦も大きくなる。
今回も別ファミリーが流そうとしていた薬を止める為の交渉だった。
確かに気性の荒い連中ではあったが、今日まで話し合いは順調に進ん
でいた筈だったのだ。ディーノは走らせている車のアクセルを更に踏
み込んだ。交渉の場であった郊外の飲食店。遠目からでも十分に惨状
が分かるほど、店は半壊していた。それを見た瞬間、最悪の事態がデ
ィーノの頭をよぎる。もし仲間に何かあれば、自分の甘さの責任だ。
祈るように現場に駆けつける。しかし、意外なことに店の外には部下
の元気な姿が見られた。 


「あ、ボス!」
「どーなってんだ?」
「それがオレ達にも何が何だか…」 


交渉に来ていた二人は特に外傷はない。それどころか、状況を把握し
ていない。とりあえず順を追って話を聞こうと二人を車へ誘導しよう
とした時だった。ガラ、と瓦礫の崩れる音がする。部下がいたという
ことは、ここが交渉の場には違いない。ならば、あとここにいるのは
相手方だ。ディーノは人の気配のする方を警戒しつつ、鞭を握った。 


「やぁ。遅かったね」
「え、」 


ぱんぱんと服を叩き、砂埃を払いながら近づく人影。その声には聞き
覚えがあった。その人物がディーノの目の前に黒服の男を投げ捨てる
まで、思考は止まったままだ。 


「こんな小物に足止めされていたの、」
「…っ恭弥!なんで!?」
「待つのが面倒になってね」
「お前…」 


足元にすっかり目を回している交渉相手がぐったりと転がっている。
やっと状況を把握したディーノだったが、どうして良いか分からず呆
然としていると、とりあえずアジトに戻ろうとロマーリオが提案した。   


「つまり、あそこには偶然居合わせたのか」
「それらしい人たちだったからね」 


普段の口調とあまりにも変わらない為、ディーノの体から力が抜ける。
話を要約するとこうだった。ディーノに会うためにイタリアへやって
来たは良いが、場所が分からない。ロマーリオたちの服装からそれら
しい連中をつけてみると、今回の現場に行き着いた。話の内容からキ
ャバッローネが関わっていることが分かったので、話が終わるのを待
っていたが、相手方が武器を持ち出した。戦闘態勢に入るかどうかの
ところで、群れているのに耐えられなくなり一掃した、ということだ
った。 前半は嬉しい内容だが、後半は恭弥らしい、の一言に限る。 


「まぁでも、助かった。ありがとう」
「じゃあ貸しにしとくよ。それと、」


言葉を区切って恭弥は胸ポケットから封筒を取り出した。茶色の、よ
く見る業務用の封筒だ。ほら、と促されるままディーノはそれを手に
した。僅かな厚みで何かが入っているには違いない。 


「来年は日本で過ごせると良いけど」 


開けようとすると、恭弥は立ち上がり帰り支度を始めた。それを見て、
ディーノは合わせて外へ出る準備をした。すぐに封筒の中身を確認出
来ないのは気になったが、別のことに気づく。今日はディーノの誕生
日だ。そして先ほどの言葉を反芻すると、否が応でも顔がにやけてし
まう。ロマーリオに急かされ、車を出した。明日の学校に間に合うよ
うにと、恭弥からも急かされる。別れを惜しむ暇もなく、飛行機は飛
び立って行った。

残ったのは一枚の封筒。楽しみ半分怖さ半分。中身をゆっくりと確か
める。


「…あのやろ…」 


そこには一枚の片道航空チケット。日付は三日後だ。当初は、今月い
っぱいはイタリアにいる予定であった。しかし、恭弥はそれを三日で
片付けろと言わんとしていた。普段感情の色という色を見せない、精
一杯の招待状だ。無下にするなど到底出来ない。ディーノは残りの仕
事を片付けようと意気込み、急いでアジトに戻って行った。








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