この刀、彼の方の為にふるいませう








                                                           仇討





 



血溜まりがねっとりと武の指先に絡みついた。雨に水増しされたそ
れは僅かに温く、手に感触を残す。傍らには打ち捨てられた死体。
今朝までは確かに動いていて、この口は言葉を発していたはずなの
に。

どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどう
してどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして

脇からそっと刀を鞘ごと抜いた。ずしりと重く、魂がひとつ乗った
かのようだった。

恨んじゃいけねぇ。
恨みは太刀を鈍くする。 

「…分かってるよ、親父、」 

初めて握る柄は不思議なほどにしっくりと手のひらに収まった。型
通りだ。雨も匂いも視界も邪魔にはならない。毎日のように振って
いた木刀が真剣になっただけ。いつも描く線を剣先で辿るように振
り下ろす。骨に当たる前に手前にすっと引く。刃が肉だけを切った。
相手の刀は鞘で受け止め、いなす。勢いはそのままで、ばしゃっと
水しぶきを上げて倒れた。じわりと血が地面に滲む。 


「…こいつらなんて鈍った太刀で十分だ」 


自分だけに聞こえるように武は呟く。それを見ていた他の仲間は我
先にと逃げていった。逃げていく男を後ろから斬りつけることも出
来たが、体が言うことを聞いてくれなかった。

親父を殺され怒る心に、冷える体、人を斬った感覚を残す手、晴れ
間を覗かせる空。

すべてがばらばらで、何を考えて良いか分からずにいた。  






「若様、お下がり下さい」  


仇を取った後の自分の身は考えておらず、後から来た岡っ引きに連
れられ、大層な造りの建物に入った。北の奉行所だ。手首は太めの
縄で縛られており、身動きは取れない。こんなに大袈裟なことをし
なくても逃げやしないのに、と苦笑すると頬を叩かれた。 


「罪人を不当に扱うのがお前たちの仕事なのか」 


こちらを見下ろす人の間から、問い詰めるような強い口調の若い声
がした。その声を聞くなり、筋肉の緩みきった顔が緊張の面持ちに
変わる。 


「聞けば、この男のしたことは仇討ちだそうだな」
「は、左様に御座いますす」
「討たれた者に子供はいるか」
「五つになる息子がいると聞いております」
「そうか。では、その子供を連れて来てくれ」 
「…は…?」 


役人たちは揃って首を傾げる。その中で淡々と命じる男が誰なのか、
武は思い当たった。徳川綱吉。世を治める大人物である。まだ幼さ
の残る顔で、言い放った。 


「この者の処遇、一度私が預かる」 


特に表情を変えず、武に一瞥くれるとその場を後にした。武の目の
前でまだ幼い子供が刀を構えて震えている。興奮と恐怖。その小さ
な体にそれらをいっぱいに詰めていた。

一夜を奉行所で過ごし、翌朝連れて来られた広間。相変わらず自由
は封じられ、後ろ手に縄で縛られている。 


「左肩から胸を通り刀を引くように斬られたそうだ。同じように斬
  って良い」
「っはぁ…はぁ…はぁ」
「呼吸を落ち着かせろ。目の前にいるのはお前の父上の仇だ」 


小さな子供に綱吉はやはり淡々と語る。彼は何をさせたいのか。真
意は掴めないが、武にとってここで自分の人生が終わることに不満
はなかった。自分がしたことで、目の前の子供が手を汚すことだけ
が気がかりだ。 


「さあ…行け」
「う、ぅわあぁぁっ!!」 


綱吉が子供の背を軽く叩く。びくりと肩が揺れ、刀の金具が音を鳴
らす。目にいっぱい涙を浮かべ、刀を振りかざして武に向かって走
り始めた。剣先ががりっと音をたてて鎖骨に当たる。斬られたと言
うよりは殴られたような鈍い痛みが武の顔を歪ませた。そのまま下
に下ろされた刀は、歪な線を描き、腰に抜ける。 


「ぅ、ぐっ…」 


一瞬で終わるかと思っていた痛みは継続し、足の力を奪った。横転
するが反射的に傷口を庇い、仰向けに倒れる。倒れた衝撃で鋭い痛
みが体を突き抜けた。どくどくと傷口から血が溢れて行く。じわり
と着物を濡らし、生暖かく肌に触れる。 


「とーちゃん、の…かた、き…」 


刀ががしゃりと地面に落ちた。青ざめた顔で、少年は武に向かって
言った。父の仇だと。小さな手や肩が小刻みに震えている。 


「…確かに…鈍い太刀だったなぁ…」 


武は自分の父の言葉を思い出していた。恨みは太刀を鈍くする。少
年の太刀は鈍かった故に終わらない痛みを武に残した。 


「少年、仇は取れたか」
「…」
「お前の父上は喜んでいるか?」 


ゆっくりと左右に首を振る様子を見ると、綱吉は頭を軽く撫で、役
人に引き渡した。そして別の役人に別の命を与えると、武に近寄り
話し始める。 


「幼子の仇はその体に受けたはずだ。生きて見せろ。生きて、父の
 生きるはずだった分まで生き抜いてみろ」
「…生き、る…」 


そこで武の意識は一度途切れる。次に見たのは自宅でも奉行所でも
ない、丁寧な造りの天井。ゆっくりとまばたきをし、もう一度確か
める。起きようと体を動かすと、胸や腹が鈍く痛んだ。それが今は
現実だと武に教える。 

生きているということを認識すると、目頭が熱くなった。嬉しいの
か、悲しいのか、悔しいのか、どれともつかない感情だった。ゆっ
くり瞬きをすると、目尻から耳の方へ涙が流れた。温かい軌跡。

耳に残った綱吉の言葉。忘れることは出来なかった。
武はこの時、彼に仕官することを決めたのだった。

















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未来遍でも仇討したんじゃないかなって。
怒ると一番怖そうな山本さん。
人の上に立ったツナくんは、きっと色々見たんだろう。
その2人の邂逅が成長した後だったらこんな感じだと思ったわけです。













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