遺しもの








皺枯れた手がランボの肌をなぞった。もう物を上手く捉えられない
が故の所作だった。指先はすこしだけ震えていた。老いからはだれ
も逃げられない。そんなことは分かっていた。ただ目の前の男がい
つかは触れられなくなるのかと思うと、なんだか不思議な心地がす
る。ここにいるのに。いなくなるとはどういうことなのだろうか。


「ランボ」


昔よりも高く掠れた声がランボを呼んだ。ボヴィーノのボスの瞳は
灰色で少しだけ濁っていた。黒目と白目の境目が曖昧になって、眼
球だけ顔面の肉からはみ出るように飛び出している。ボスはベッド
に横たわっていた。数ヶ月前に倒れたきりだった。余分な肉が削げ
落ち、妙に節ばった手になった。その手がランボの髪を梳く。急激
な体重の変化についていけなかった手の甲の皮が血管やなにやらを
一層浮かび上がらせるのに一役かっている。この手が昔に頭を撫で
ていてくれたことをランボは思い出していた。


「なあに、ボス」


ゆっくりと答えた。はっきりものを映さないボスの瞳がランボを見
る。ひとつ、瞬きをした。ぎしりとベッドがしなる。ボスを乗せた
時は音など出さなかったのに。ランボはベッドに置いた自分の手か
らそっと力を抜いた。

ボスに引き取られた時からは比べものにならないくらいしなやかに
伸びた手。彫刻のようだと喩えられた肉体。ボスはそう言って褒め
るたびにこの肌に触った。皮膚の下をとおっている血管や筋肉の動
きを確認するように触った。

ランボはそれをなにかの儀式のように感じていた。お互いの姿を確
認するような。皮膚と皮膚が血と血が触れあうような。乾いた指で
水面をなでる時に似ていた。触れる瞬間、吸いつくのだ。そしてそ
の痕を残すように指に水が絡まる。


「どおしたの」


髪を梳いていたボスの手をランボは握った。油分も水分もないよう
な手。その手は触れても吸いつくことはなく、絡まることはなく、
だらんと垂れる。力の抜けている手をランボは必死に掴んだ。

このまま手を離してはいけない気がしたのだ。
この手を離したら。はなしたら。


「ねえ、ボス」


ランボを見ている瞳は先ほどのひとつきり、瞬きをしなかった。飛
び出そうな眼球がまぶたを下りるのを邪魔しているのだ。とても眠
そうだった。

(ほら。ここにいるじゃないか。ボスはまだここにいるよ。またオ
 レの話を笑ってよ。ジャッポーネであった出来事を聞いてよ。
 リボーンたらひどいんだよ。ねえボス。あそこは楽しいよ。でも
 オレはボスといるほうが楽しいんだよ。その目に自分が映るのが
 たまらなく嬉しいんだよ。

                   ねえボス。返事をしてよ)


ランボが力を抜くとそれだけに支えられていたボスの手が軽い音を
立ててベッドに落ちた。灰色の瞳はいつまでもランボを見ている。
閉じることなく最期までランボを捉えていた。









「おまえの目って」


緑色なんだな、と獄寺は少し感心したようすだった。ボンゴレのア
ジトにいる以外、ランボは獄寺の家にいることが多かった。属性的
に一緒にいたほうがなにかと都合が良いのだとリボーンに言われて
いた。昔ほどリボーンに対して反抗心はなく、それをすんなり受け
入れていた。何より反対すると思っていた獄寺も特に意見を出さず
に了承したのだ。きっとそれはボスの葬式の後だったからだと思う。

用事を済ませて帰宅したランボに、獄寺は今気付いたとでもいうよ
うに瞳の話を出す。まじまじと顔をのぞき込まれ少々居心地が悪か
った。それでもランボが獄寺から視線を外さずにいたのは彼の瞳が
灰色だったからだ。


「緑ってこんな色じゃない?」


ランボは部屋の隅にあった観葉植物を指差した。日中の光を十分吸
った緑色。それは濃く、光の加減で黒にも見える。視線をそちらに
移し、そして比べるように再びランボの瞳を覗き込む。


「なんだよ、エメラルドグリーンだって言わせてえのか」
「うん。ボスがそう言ってた」


ふうんと関心なく呟いて、獄寺は部屋のソファの腰かけた。ぎしり
と音がなる。彼の重みで啼いた。音をならさなかったベッドを思い
出した。先ほどまで自分の目の前にあるかのような記憶だ。思い出
すのは容易だった。


「オレは灰色がよかったんだ」


灰色の瞳がランボを捉えた。輪郭がはっきりとした瞳。数度瞬いて
困ったように背けられた。伏せられると瞳と同じ灰色のまつげが光
を遮断する。それがたまらなく許せなかった。ランボは獄寺の肩を
掴んで正面から見据える。驚いたように見開いた瞳がこちらを見た。


(オレを見てよ。その瞳に映してよ。それがオレの幸せなんです。
                     嬉しいんだよ、ボス)


獄寺に見てもらえるためなら。灰色の瞳に映ることが出来るなら。
ランボはなんでもしようと思った。











*******************************
ランボと獄寺はストレートに愛し合えないというか。
何か理由をつけないと触れられない距離感が好きです。

一部設定を小松さんから頂いております。ありがとうございました。













→戻