「あ、食べた?」
「なに、」
「チョコ。食べたな?」 









                              酔いしれる言葉










言い終わらないうちに、シャマルの顔はにんまりとした笑みを浮か
べる。とろけたチョコが、体内に染み渡るように恭弥の喉の奥を通
って行った。   
ごくんと喉が鳴るのが分かる。久しぶりの美味しいチョコレートに
唾液が過分に出ていた。カラになった箱とシャマルの顔を見比べる。
彼の白衣姿は清廉潔白とはいかない。指の腹に付いているチョコパ
ウダーをどうしようか動きを止めていると、その手をシャマルは取
った。わざわざゆっくりと見せつけるように、それを舐めとる。 


「うん、旨いね」 


ちゅ、と音を立てて離れた唇は悪戯が成功したとでも言わんばかり
に笑った。成功させてしまったのは誰か。恭弥は怒りや後悔の念に
捕らわれながら、チョコを食べる前のことを思い出していた。

今日は学校の風紀が一年の中でも乱れやすい日だった。朝から持ち
物検査や、学生の動向の把握。たかだかお菓子メーカーの策略なの
だが、それだけで済まされないのが現状だ。色めき立った学生は統
率しづらい。校内を巡回しながら、何度目かのため息をついた時だ
った。年中、風紀の乱れている保健室の中から声がかかる。


「お疲れさん。甘いものでもいかが?」
「…」 


俺様のファンからなんだと、要らぬ自慢を受け、恭弥はしぶしぶ保
健室へ入った。没収しなければいけないものが大量にあるに違いな
いと思っていたのだが。室内には二つのカップとシックな包装の箱
が一つ。 

疲れていたのは事実で、ここまでセッティングしているのであれば、
一杯くらい貰っても良いか、と椅子に座った。コーヒーの香りと、
僅かなチョコレートの香りが鼻腔をくすぐる。シャマルも対面に座
り、コーヒーを飲み、チョコを口に含んだので倣う様に恭弥も続い
た。


そこまで思い出すと、恭弥は改めて目の前の男を睨んだ。何が入っ
ていたのか。少しでも紛らわすためにコーヒーを口に含む。甘さの
対比で苦く感じる。それでも多少、何かが薄まればと思い、無理矢
理流し込んだ。


「チョコに何を入れたの、」
「チョコには何も」
「は、」
「入れたのは、こっち」


にっこり笑って、手元にあったカップを持った。大して変わらない
それは、ちょうど恭弥がコーヒーを飲みほしたものと同じだった。
一瞬それが何を意味するのか分からなかった。いや、分かりたくな
かった。止まった思考を何とか動かし、この状況をどう打破するか
恭弥は思考を巡らせる。しかし、ふつふつと上がる体温がそれを邪
魔した。怒りのせいだと自分自身を納得させながら、恭弥は席を立
った。

ふわり、と。重力が逆さまになる感覚を覚える。発熱したときのよ
うな。そんな浮遊感だ。風邪をひいているわけではない。目の前の
男の仕業だということは明白だった。トライデントモスキートなど
という異名を持つ彼である。何をしてもおかしくはない。


「何を、」
「俺が好きでたまんなくなっちゃう薬」
「なっ」


血の気が引く状況だが、それどころか体はさらに火照った。俗に言
う媚薬だろうか。熱に抗おうとしてみるが、うまくいかない。足元
はふらつき、歩けずに結局椅子に座った。両手をまとめてシャマル
に掴まれる。触れたところに心臓が出来たようにどくどくと脈打っ
た。目の前に座ったシャマルは診察のする時にするように、頭から
順番に触診する。冷たい指先が、火照った恭弥には丁度良かった。


「俺のこと考えて体が熱くなった?」


耳を人差し指と中指で挟むように掴まれる。親指は細い顔の輪郭を
なぞった。ぞくりと体が震える。構わずにシャマルは続けた。


「俺に触られて抗えない?」


手のひらが首筋を撫で、鎖骨に触れる。未発達ゆえの細さを楽しむ
ように、薄い肩を掴んだ。ゆっくりと顔が近づく。ふわりと煙草の
匂いがした。喫煙者は手足の先が冷えるのだという。恭弥は頭の隅
でなるほどと納得をした。


「抱きしめられると安心して眠くなる?」


掴んだ腕ごとシャマルは恭弥を抱きしめた。膝がぶつかるので僅か
にずらす。両足で相手の足を挟むように近づいた。冷たい手とは逆
に、シャマルの体は温かい。低い声が耳元で響くと、ゆっくりと睡
魔が襲ってきた。何もかもシャマルの言うとおりだ。恭弥は苛立ち
を覚えながらも意識を手放した。


眠ってしまった恭弥を抱きかかえ、保健室のベッドに横たわらせる。
柔らかな毛布をかけ、ぽんぽんとそれを撫でた。シャマルの口元は
笑いを堪えるのに歪んでいる。まさか、ここまで綺麗にかかってく
れるとは。自分の机に戻り、大きめの引き出しを開けて琥珀色に揺
れる瓶を取り出した。


「カップに半分は入れ過ぎたかな〜」


ウイスキーと書かれた瓶の中身は僅かに減っている。媚薬など入れ
てはいなかった。ましてや、モスキートも使っていない。使ったの
はアルコールと言葉だけ。起きた時の反応が楽しみだ、とシャマル
は小さくほくそ笑んだ。





















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