雨色







「もし俺が、」


雨の降る夜だった。ふと会話が途切れ、何の前触れもなく山本が切
り出した。ツナやヒバリたちの前では物分かりの良い青年だが、獄
寺の前にいる時だけ少しだけ子供っぽくなることがあった。

最近の流行りは「もしも」の話らしい。今度はどんな話なんだと半
ば退屈しながら獄寺は読んでいた本から目をあげて山本を見る。雨
の音。耳障りではない。ただ、あまり聞き入ってしまうと音の中に
沈みそうだった。打ち消すように本を閉じた。何とも間の抜けた紙
のぶつかる音がする。


「もし俺が居なくなったら、」


獄寺の所作を少し笑いながら山本は言葉を繰り返した。人工的な蛍
光灯の光が顔を照らす。落ちる影が思いの外暗い。俯いているせい
だった。自分から切り出したのに言い淀んでいる。閉じたばかりの
本を開こうかとも思ったが視線を向けただけに留めた。


「もし俺が居なくなったら?」


仕方なく先を促す。特に急ぐ用事もない。山本の気まぐれに付き合
うのも最近は慣れた。座りっぱなしだった足を組み直して獄寺はも
う一度視線で言葉の続きを促した。


「もし俺が居なくなったら…獄寺、どうする?」
「…どうするって、」


雨音。山本はじっとこちらを見ている。ベッドの上に寝転がり随分
と体の力を抜いて尋ねてくる。窓のカーテンが揺らいだ。外気に冷
やされた空気が体を震わせる。


「驚く」


正直にそう告げると、山本がくちびるだけで笑った。いつもどおり、
歯をちらりと見せて。その表情に意味もなく獄寺は安堵した。もし
もの話ならそれらしくもっと道化で見せれば良いのに。妙に真剣な
顔をしているから言葉に詰まってしまった。
「もし俺が寿司屋を継いだら」「もし野球選手になったら」青春真
っ盛りの問いがあったかと思えば「もし俺が違うマフィアにいたら」
「もし獄寺と敵対したら」とあって欲しくない冗談もあった。ボン
ゴレの任務で怪我を負った時「もし俺の腕が駄目になったら」と言
われた時は正直辛かった。
軽く流せる時とそうでない時と場合があるのだ。自分以外にそうい
った話題を振っていないと知った時は何か意味があるのではと勘繰
った。結局今も分からないわけだが。


「驚くだけか?」


突然の山本の言葉に獄寺は無意識に顔をあげた。自分が下を向いて
考え込んでいたのに気付く。雨音が妙に鼓膜に残る。ベッドの上の
山本はこちらをじっと見ている。もう笑ってはいない。雨音。夜の
風。重い雰囲気が部屋の空気を澱ませていた。それを断ち切ろうと
獄寺はいつものしかめっ面で毒づこうとしたが、うまくいかなかっ
た。眉間に力が入らなく、自分でも分かるほど珍しく眉が垂れた。
山本も驚いたらしく、緩んだ目元を見開いた瞳で凝視していた。


「……驚いて、」


呟く。力の抜けた表情で出した声はひどくかすれていた。雨音。心
の中が逃げ出したい気持ちで一杯になった。山本から視線をそらす。
手元に置いていた本の表紙が降り込んだ雨で少し変色していた。


「驚いて……」


どんなに頑張ってもその後のことばが出てこない。心臓が裂けそう
なほど苦しい。獄寺は必死で呼吸をした。目の前が霞む。澱んでゆ
く思考で必死に考えた。山本が居なくなったら自分はどうするのだ
ろう。驚く。驚いた後、自分は。


「驚いて…」


ただの冗談だ。そう思おうとしたが何故か思考は真面目にそのこと
を考えている。山本の息の音が聞こえた。雨音にかき消されそうな
それはゆっくりしていて、そのくせ雨音以上に鼓膜に残る。山本の
息はそこだけ色のついた雫みたいだ。獄寺は混乱した頭でそう思っ
た。何色かは分からない。変色した本の色のようであったかもしれ
ない。


「驚くだけでも良いよ。別に。」


獄寺の混乱を断ち切るような山本の声がした。やけにはっきりとし
た語尾。山本を見る。山本は目を細めて笑っていた。しっかり光を
湛えている瞳がゆっくり音もなく弦月の形に変わる。雨音。夜の雨
音は鼓膜に残りすぎて、心臓が軋むようだった。良いよ、と山本は
再度言った。呟きじみたこえは嗚咽に似ている。泣いているのか、
と思ったが山本の瞳は見事に乾いていた。


「驚いてくれるんなら、それで良いよ」
「…」


言葉が出ない。これは冗談ではないのか。ただの言葉遊びだろう。
そう言って笑い飛ばそうとしたが結局できなかった。咽喉をあがる
声はすべて呼吸に変わって、雨音に負けて消えてしまった。


「でも」


そう云って山本は突然ベッドから降りた。スプリングが軋む。雨音。
獄寺は何故か叫びたくなった。雨音。雨音。鼓膜に残る。心臓が、
破れてしまいそうだ。


「でも、泣いてくれたら嬉しい」


山本がささやく。小さなその声が如何して雨音に消されなかったの
か。手元に置いた本に触れる手が幽かに震えた。それを見て山本が
小さく――本当に楽しそうに笑った。その笑みが次第に近づいてき
て、口唇に一瞬だけ湿った感触が灯る。獄寺の手が今度ははっきり
とびくりと揺れた。山本はこんな風に笑う男だっただろうか。

それから、おやすみ、とだけ言った山本が部屋を出て行くまで、獄
寺は何も言えなかった。だが部屋の扉がゆっくりと閉まってゆき、
ぱたんと乾いた音が聞こえた瞬間にようやく思考が鮮明になった。
その頃には山本の気配はすっかり消えていて、あの悲壮な雰囲気や、
少し濡れていた口唇の感触も何処かへ行ってしまっていた。相変わ
らず聞こえる雨音に耳を傾けながら、本の変色した個所を手近なタ
オルで叩いた。幾分か薄くなった染みをぼんやりと眺める。


結局それが最後で、山本はその後アジトをぬけ出たまま帰ってこな
かった。
 
 
『泣いてくれたら嬉しい』


咽び泣きたかった。何も考えず嗚咽を漏らしたかった。
 
無意識にふれた口唇は幽かに濡れていた。
あの夜の、山本の口唇のように。














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初の山獄がこれとか…!
私の中で山本はすっごく割れやすそうなガラスのイメージ。
日本刀ですかね。一方方向には強くても側面からの圧力に弱い、みたいな。
抱え込みすぎるので唯一抱えず吐き出せるのが獄寺の前とかだと滾る。













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