「オレがいなくなったらどうする?」 「いなくなるつもりなのか」 「例えばの話だよ。…な、どうする」 黒い塊 彼にしては珍しい話し方だった。例え話はあまり好きではなかった はずだ。どれだけもしもの話をしたとしても現実は変えられない。 下町で同じ時間や境遇を共有した中で嫌というほど身にしみた。そ の彼、ユーリは少し笑ってフレンに問いかけた。 フレンの机の上には処理しなければいけない書類が山積みになって いる。騎士団長の仕事は必ずしも戦闘の前線に立つものではない。 むしろ、その役職を守るように周りには常に人がいた。今までと同 じように剣を振れば傷つけてしまうものも出てくるだろう。自分の 立場はまさにそれだった。 そんな中、昔からの腐れ縁である彼はたびたびフレンの私室を訪れ た。誰かからの差し入れを持って来ていたり、下町からの要望をそ のまま伝えにきたり、特に何もなく寄っただけと言ったこともあっ た。 今日もその訪問の何分かの1だったはずだった。 「…状況によるな。きみが理由もなくいなくなるわけがないし」 かつてアレクセイとの戦いで、ユーリが海に落ちた時のことを思い 出した。確かに彼はその時いなくなった。しかしきちんと理由があ る。戦いの中にしろ、平和な世の中にしろこの場から突然いなくな るというのは想像しにくい。 かつての状況と同じであればきっと探しに行くだろう。彼が望んで 帝都を離れるというのであれば止めないだろう。 「じゃあ、今日オレが帰ったらもう来ないってなったら」 具体的だろう、と言ってまた笑う。座っていた窓の桟がぎしりと鳴 った。窓の外からの日差しを浴びて、只でさえ黒い影がより一層暗 く映る。その彼が外へ出て、2度と目の前に現われなかったら。な るほど、理由もなくいなくなったらどうするのかという問いだ。滅 多に例え話をしない彼がした「例え話」。遅かれ早かれ実行に移す つもりかもしれない。 「…エステリーゼ様が悲しむ」 「リタが訪城する機会が増えそうだな」 もしそれが本当に現実になるのなら、きっと悲しむ人物の名を挙げ た。ユーリはフレンを訪ねると同時にエステルにも挨拶をしていく。 公務の合間を縫っての一瞬だが、彼女がそれを楽しみにしているこ とはよく知っていた。彼女の親友もまたその時間を楽しんでいたは ずだ。 「ギルドはどうするつもりだ」 「ボスはあれで案外頼もしいぜ?」 所属しているギルド。ドン・ホワイトホースがいなくなったダング レストはその孫のハリーと古株のレイヴンを中心に回るようになっ てきていた。結果的にリーダーを失ったノードポリカの面々とはお 互いに協力する体制が出来始めていた。その中核にカロルは絡んで いる。ギルドの中に自分が求めていたであろう居場所を見つけるこ とが出来たかもしれない。しかし、心の支えはユーリが大きいだろ う。 「…」 「で、お前は」 二の句が継げないほど即答され、フレンは言葉を止めた。いくつか の言葉は、ユーリの質問に答えてすらいない。改めて問いが重ねら れる。フレンは自分の鼓動が早くなっていることに気がついた。着 ている甲冑に当たるのではないかと思う程激しく脈打つ心臓。ユー リの言葉に反応しているのだ。暗い影から2つの目玉がこちらを見 つめた。僅かな光が眼球を照らす。それが結界の外にいるような魔 物のそれに似ていて思わず目を逸らした。しかしそれは実践では死 を意味する。 「お前はどうする」 追撃はやまなかった。 どうするのだろう。フレンは自問した。 探しに行けば公務を滞らせる。 探しに行かなければ彼に関わる誰かが悲しむことになる。 どうするのだろう。自分を縛るものがなければ。 どうするのだろう。探しに行かなかった後の自分は。 海にユーリが落ちたのを知った。一度目はラゴウの船からだった。 その時は容易に彼を見つけ出せたのだ。だから二度目も。きっと自 分は探し出すことが出来るのだと妙な確信を持っていた。 どうするのだ。理由はいらない。自分はどうしたいのだ。自問を繰 り返している間に目が覚めた。 「…ゅ…め、」 辺りは暗く、およそ起きる時間ではないことが知れる。先ほどまで ユーリがいた窓際はカーテンが引かれており、月明かりが窓の枠の 影を作っていた。右の手のひらに痛みが走る。 暗がりでよく見えないが、握りしめすぎて爪が肉に食い込んでいた ようだった。鼻にそれを近付けると、血の匂いがする。手先は軽く 痺れており、あまり感覚がない。 ああ、現実か。 フレンは暗闇を見つめながらぼんやりと考えた。先ほどまでのやり とりは夢だった。彼らしくない質問も、自分がして欲しくない内容 も、全て夢。 オレがいなくなったらどうする? 問われた言葉が頭に響く。確かに彼の声で尋ねられた。そして、そ れに即答出来なかった自分。夢の中でさえ本音が出ないのが自分な のだ。思わず自嘲した。 自分が公務で動きが取れなかったあの時。デュークがユーリを助け たということを後から知った。耳から入った情報は体の中に入り、 限りなく黒に近い塊になって体内を埋めた。腹の底から熱が上がる のを感じた。その時も確か、今と同じように拳を握りしめ、血を流 していた気がする。 悔しかったのだ。 自分が彼を助けるのは当たり前だと思っていたのだ。何もかも投げ 捨ててでも行かなかった自分を悔いているのだ。夢の中で自分に問 いかけたユーリは、紛れもなくもう一人の自分だった。 月が陰り、唯一の明りだった光がなくなる。闇に慣れたはずの目が、 より一層暗いものを見ることになる。鼻腔をくすぐるのは鉄の錆び た匂い。そのまま、また目を閉じる。夢の続きは見られるだろうか。 その時はきちんと答えられるだろうか。 **************************************** デュークに先越されたのをずっと根に持ってるフレン。 暗っ。 ユーリを取るか公務を取るかで悩むフレン。 暗っ。 ごめんよフレンド。悩む姿が良く似合うぜ。 →戻 *気まぐれな猫*http://kimagure.sodenoshita.com/*