ひとつになる方法















柔らかそうなくちびるだと思った。その肉が自分の名前を呼んで少
しだけ笑むのを両目でしっかりと見た。怖いくらい左右対称の唇。
それがやはりその比率を崩さずに弓型に形を変える。久しぶりにそ
の笑みを見た気がする。ユーリは光の加減できらきらとするフレン
の髪を見て太陽を思い出した。

下町にいるころから何をしても敵わなかった。同じことを同じよう
にしようとしても、必ずフレンが一歩先をいった。その一歩が埋め
られなく、口から滑り出る言葉ばかり達者になっていった。

だいじょうぶ、と尋ねてくるそのくちびるが憎らしくもあり、愛お
しくも思えていた。

机の上に置いてあるグラスの中で氷がからんと音をたてた。溶ける
のが早い。角ばっていた氷の角が丸くなっていた。ユーリは座って
そのお茶を飲んだ。くちびるに氷があたる。構わず中の液体を飲み
ほした。思いの外小さくなっていた氷だったのでそのままくちに含
んで砕く。

がりんとくちの中でした音は耳の奥に響くようだった。ひとつ、ふ
たつ。細かくなった氷の粒はしたを冷やした。感覚があまりない。
自分のものではないようなしたで、咥内の歯列をなぞってみた。


「フレン、」


いたずらをする前のような表情だと、いましがた呼ばれたフレンは
思った。笑いをこらえる様なユーリの目元はひどく楽しそうだった。
なにをされるか分からないが断る理由もない。手招きされるまま、
ソファに座っているユーリの目の前まで歩いた。数歩の距離。一度
だけ床がきしりと鳴った。

そのようすを満足そうに見ていたユーリがくちをぱかっと開けた。
ぴんく色の咥内からべろりとしたを出す。噛んでみろよ、といった。
正確な発音は出来ていないが、その表情と不明瞭な音がそうフレン
に伝えている。

ばかのことを言うな、と言うべきか。特になにも言わずに無視をす
るか。迷っているあいだにユーリは退屈したようで、ソファから立
ち上がりフレンの目線にそろえた。紫と青の視線が交差する。

くちびるを重ねた。思ったとおり柔らかいくちびるだ、とユーリは
胸中でつぶやく。上下のくちびるをしっかりと閉じてきっとへの字
に曲がっている形を想像すると笑いが込み上げてきた。


「なに、笑ってるんだ」
「べつに?」


笑みを咎められ、さらに笑いが止まらなくなる。喉の奥で笑うよう
にしていると、一度離れたくちびるが再び近づいた。ピントの合わ
ないフレンの眉間がしっかりと皺を作っている。不機嫌でもそうで
なくても眉間に皺を寄せるのはフレンの癖みたいなものだった。そ
れがユーリの前だと顕著に出る。とはいっても、その違いが分かる
のはやはりユーリだけのようなものだった。

ほぼ半開きのユーリのくちびるをしたでこじ開けて咥内へ侵入する。
応えるように絡まるしたが氷のように冷たくどきりとした。フレン
は反射的にしたを引っ込めたが思わぬ攻撃にあう。


「痛っ、」


くちびるに、ちくりとした痛みが走った。驚いて離れるとユーリの
くちびるに赤い痕がついていた。もちろんユーリの血ではない。考
え事をするときの癖のように指でくちびるを触った。ゆびさきが赤
く濡れた。それを確認すると、よりいっそう眉に皺をよせて鋭い視
線をフレンは向けた。


「はらへったから」
「は?」
「柔らかくて美味しそうだなって」
「僕はきみの食料になるためにいるわけじゃないんだけど」


知ってる、と言って笑った。ユーリはこんなに簡単に笑うような人
間だっただろうか。フレンは自分の記憶の中の幼馴染みと目の前の
人間を比べてみた。昔から何をやっても余裕でこなしていた。勝負
事があっても、どこか力を抜いているようだった。自分の精一杯を
出して勝っても、いつも勝った気はしなかった。そのユーリが、フ
レンの前で笑っていた。


「じゃあ、いつなら食っていい?」


その笑顔のままでユーリは尋ねる。床下から元気の良い客たちの声
が聞こえてきた。窓の外を見ると夕闇に空が沈んでいる。ずいぶん
と時間が経っていたようだった。1枚膜を張ったように聞こえる喧
騒が、どこまでも遠いようにフレンは感じた。いつなら、と発した
くちびるはまだフレンの血がついている。それを冷たいしたで拭う
ように舐めとると、ユーリは合わせていた視線を逸らした。

柔らかそうなくちびるだと思った。
食べたら太陽のようになれると思った。
がりんと砕いた氷のように粉々にして食べてみたいと思った。

でも、まだ食べない。


「うそだよ。下行こーぜ」


まだ食べない。ユーリはフレンを振り返らずに部屋を出た。沈んだ
太陽の代わりに月が出ている。太陽の光を反射して月は輝くのだ。
太陽がいなくなってしまっては、輝くことさえできない。だから、
なのか。自問してユーリは首を振った。そんなに簡単なことではな
いはずだ。出ない答えを頭の隅にやって、下の階で作られている夕
飯に思考を移す。

くちの中には、フレンの血の味が残っていた。




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お互いに焦がれるような気持があって。
なんやかんやあって結局強く思っているのってユーリの方なのかなかって。
後悔はしていないけど、絶対に戻れない経験をしてしまったから。
ユーリの底の部分ってあらわすの難しい。



























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