彼の長く綺麗な黒髪が爆風で乱れ、舞い上がるように散った。その
髪が元の位置に収まる様子をスローモーションのように目で追う。
前方で閃光が起こった。一瞬色のない世界になる。溢れるような白
の中に僅かに浮かび上がる陰。それが物の輪郭を薄くなぞって、そ
こに実在しているのだと知らせる。踏みしめている地面が崩れるの
ではないか。妙な浮遊感を味わった。いや。それは浮遊感などでは
なく。激しい既視感だったのかもしれない。眼前で流れる光景がレ
イヴンの動きを止めていた。


自分はまた助けられたのか

自分はまた生き残ったのか


閃光の残像が周りの風景に混ざる。そこにないはずの光景がちらち
らと瞼に焼きついた。

レイヴンはその戦闘で一歩も動くことが出来なかった。













                              恋ノ花











「おいおっさん。サボってんじゃねえよ」


ぶっきらぼうな言い回しは気を遣っていることの隠し蓑だ。そんな
ことないわよ、と言ったが果たして伝わっただろうか。ユーリの眉
間に無遠慮に皺が寄った。せっかくの美形がもったいない、とレイ
ヴンは思う。迫力のある美人顔。出会った頃より大きく変わる表情
が信頼の度合いを表しているようだった。

そうだ。彼女の表情も僅かな期間でいくつかの変化を見せていた。

唐突に思い出し、数珠つなぎのように思い出というには仄暗い記憶
が脳裏を巡る。彼女の折れそうな手首が弓を持った。力が入ると見
た目に似つかわしくない筋が盛り上がる。前方で敵が伏すと緊張を
解かないままこちらを振り返り笑う。


(笑って、たのか…?)


その部分だけ。その表情だけ。レイヴンには思い出せなかった。フィ
ルターがかかってぼんやりとしか認識出来ない。あんなにも近くに
いたにも関わらず、だ。触れれば、輪郭をなぞれば、あの閃光の中
の陰のように少しだけでも認識出来るのではないか。


「…レイヴン?」


指先で触れた唇が自分の名前を呼び、息を漏らす。ユーリが不思議
そうに瞳をレイヴンに向けた。その瞳が数度瞬く。瞬く度に周りの
状況が思い出された。伸ばした指先に髪が数本絡んではらりと落ち
る。形の良い唇が次の言葉を待っていた。


「っ…悪い」


脈打つはずのない偽りの心臓がどくんと音を立てた気がした。記憶
と現実がごちゃ混ぜになる。レイヴンでもシュヴァーンのものでも
ない人間からの言葉が漏れる。慌てて離そうとした腕を素早い動作
で掴まれた。思いの外力が強く、逃げ出したい衝動に駆られる。

自分は何に謝ったのだろう。
話を聞いていなかったことか。
記憶の中の人物と間違えたことか。


(そもそも俺はユーリに謝ったのか…?)


レイヴンは自問した。考えれば考えるだけ思考が糸のように絡まっ
た。考えがまとまらず、ただただ目の前のユーリの視線に居心地の
悪さを覚える。


「泣きそうな顔だな」


鋭さを保ったままだった瞳がふっと柔らかくなった。同時に込めら
れていた腕の力も弱まる。次の言葉が見出せなかった。何を彼に言
えば良いのか。自分でも把握しきれていないこの状態をどう説明し
たら良いのか。思案している今の顔こそが、ユーリの言った「泣き
そうな顔」なのだろう。たまらずに視線をそらした。

逸らした先に今までと変わらない景色が広がる。記憶の中の女性、
キャナリの顔を思い出した。仕方ないな、と言わんばかりの笑み。
そうだった。どうして忘れてしまっていたんだろう。つい今しがた
の自分を疑問に思うほど鮮明に思い出していた。


「俺はさ、」


言葉を区切って、レイヴンは丁寧に音にした。


「ユーリを好きになって救われたんだ」


恋慕も人魔戦争もダミュロンという人間の記憶をきちんと思い出せ
る。それは、乗り越えた過去として自分が考えられるようになった
からなのだ。かつては傷を抉るような痛みが伴った。しかし、今は。

自分の決定的な変化は、彼への想いだった。乗り越えられなかった
記憶を呼び起こしたのもユーリだったが救えたのも彼こそだった。

それがたまらなく嬉しく、気恥ずかしかった。




レイヴンは次の戦闘で躊躇わず動いた。
弓を引く腕はいつもより力強かった。





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レイヴンの過去編小説を元にしました。
妄想が爆発しますね。
所見でキャナリとユーリを本気で見間違えたのは私だけじゃないはず。
長い髪を見る度にびくっと肩を揺らすレイヴンが好きです←



























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