深く、漆黒の中にたたえる光が、自分の闇を浮かび上がらせるよう
で直視出来なくなっていた。   











                              鬼灯












レイヴンがこちらとの距離をあけるようになったのはいつだったろ
うか。シュヴァーンだということが知れ、それでも仲間に戻って来
てくれた時か。近くなりすぎた距離を離そうと一旦こちらから離れ
た時か。面倒だと思うくらい常に側にいた人間が離れると、こうも
感傷的になるのかとユーリは慣れない感情を持て余していた。 

真夜中のダングレスト。宿屋に仲間を置いてこっそりと抜け出す。
空には数多くの星が瞬き、街には暖色の灯りがぽつりぽつりとつい
ていた。この街は昼間も夜もこの暖かい色に包まれているのだとし
みじみ思う。ただ、今のユーリにとってその色は考えたくないこと
を思い出させる要因でしかなかった。

ただでさえこの街は彼を想起させる。 


「…」 


両親を亡くして、周りから過剰に優しくされることに居心地の悪さ
を感じた。ただ、親切心がなければ生きて行かれないのも事実でそ
の現実に甘んじる。自立する為に、周りに1人でも大丈夫だと知ら
せる為に、人との距離を保って生きて来たのに。

考えが一周し、ため息として口をついた。いくら息をついても、胸
の内はすっきりしない。

強いものに縋りたくなった。ユーリの足は宿屋の前からユニオン本
部へ向く。頭に浮かぶのは灯りのない、ドンの部屋。目的地がはっ
きりすると、足も速くなった。  






「こんなところに何の用よ、青年」
「…あんたこそ何してんだ」 


灯りが消え、入り口近くにある炎がぱちぱちと音をたてている廊下
を抜けた先の部屋。闇に慣れ始めた目が、ドンが座っていた椅子の
横に人影を捉えた。その影の形に見覚えがある。彼を考えることか
ら脱したいが為に避けていたことが、宿屋にいたかの確認を怠った。
ユーリは今来た道を引き返すでもなく、そこにとどまる。手にじっ
とりと汗が浮かび上がり、柄にもなく緊張しているのだと知れた。
 
一度手に入れたと思いかけたものが、手からすり抜けるのは耐え難
い。はっきりさせてしまえば悩まなくて済むかもしれない。簡単な
話だ。何故自分を避けるのかと問うだけなのだから。その簡単な言
葉がどうしても言えない。 


「…逃げて来たのよ」 


レイヴンの言葉にびくりと指が反応した。自分の行動を反芻し、彼
に問いかけたままだったことを思い出す。その答えが自分の考えを
見透かしたのでは、と焦った。同時にレイヴンの言葉の意味を考え、
今度は心臓が跳ねる。酷く喉が渇いた。紡ぐ言葉が僅かに掠れる。 


「…なに、から、」
「お前さんから」 


予期せず、口にしなかった問いの答えを得、体が硬直するのが分か
った。はっきりして良かったと思うことがどうしても出来ない。そ
の答えを聞きたくないばかりに訊くのを躊躇っていたというのに。 


「まー、青年はあんま気にならないかもしんないけどね」 


前に戻るだけだよ、とレイヴンは笑った。薄ぼんやりと浮かぶ影が
肩をすくめる。確かに一度縮めた距離を元に戻すだけだ。胸にくす
ぶる好意も、仲間だから、として理由付ければ良い。仲間なのに避
けてんじゃねぇと軽口を叩いて、宿屋に戻れば何の変哲もない日常
が戻って来る。 


「なんでだ」 


ユーリはその日常を受け入れられなかった。 


「何で避ける」 


問いを重ねる。室内に響く声は、どこか縋るような色をしていた。
ユーリは目の前の影を見据える。口にしてしまった以上引き返すこ
とは出来なかった。いや、自分から相手に踏み込んだ距離を戻す術
を知らない。構わずにレイヴンの目を見た。 


「おっさんはね、青年が怖いのよ」 


暗がりの中でため息が聞こえる。観念したように、少しだけ笑って
いた。


「何かを何かで終わらせないように見定める、その眼が怖い」 


レイヴンの目には、ユーリとドンが重なって見える。自分の立って
いるすぐ側の大きな椅子は、主を亡くして空席のままだ。かつてそ
こに座っていた彼も、目の前にいる青年と同じように自分を見てい
た。アレクセイの命令でドンの側にいた時も、害であるかないか、
信用に足る人物か否か。ことあるごとに見定めていた。正体をなん
となく見破った後も変わらず側に置いたのは、結局ユニオンの中枢
に収まるのだろうと予期していたのかもしれない。 


「俺は、あんたが怖い」
「青年が?オレを?…なんでよ」


以前にドンと自分は似ているのだと言われたことを思い出した。目
の前のレイヴンはユーリと会話をしているものの、視線は大きな椅
子に向いている。誰かを重ねて自分を見ているのは明白だった。そ
れが分かって、どうしようもない怒りと悲しみが胸の内で混ざるの
がよく分かる。こんな状態になったのは初めてだった。感情におけ
る様々な事象が、レイヴン一人によって起こされている。その現実
が、ユーリには怖れとして感じられた。


違う。これは、嫉妬だ。


「あんたを好きだからだよ」


理解するのと、言葉にするのはほぼ同時だった。ユーリ自身、ここ
数日の謎が解けたような感覚を持つ。レイヴンが自分を誰かと重ね
て見ていること。自分から離れる理由が、そこに帰属していること。
それが許せない理由が、するりと口からこぼれ出た。

選んで来た静かな場所が、沈黙をより一層引き立てた。二人の距離
は、ここに来てから変わらない。しかし、内面の距離は確実に変化
していた。

きし、と椅子が音をたてる。レイヴンが椅子の肘かけに腰を下ろし
たようだった。その音から、さらに沈黙は続く。


「…何か、言わねーの、」
「……オレなんか好いてどーすんのよ」


耐えきれずに口火を切ったのはユーリだった。返って来たのは予想
に反して低い声。その音は、シュヴァーンを彷彿とさせる。いや、
それよりも違う時に聞いた声だった。パクティオンで彼と戦った後
の、レイヴンでもシュヴァーンでもない時の声色。

死者が生者と一緒に歩むなど、莫迦らしいとでも言いたげだ。生き
ることを諦めている。そんなニュアンスを含んだ言葉に、ユーリは
無性に腹を立てた。好きや嫌い以前の問題だということに今更なが
ら気づいたのだ。レイヴンが持っている闇はユーリが思っていたよ
りも深かった。


「今更逃げてんじゃねぇ」


拳に力が入った。一定の距離を保っていた足も動き出す。椅子の横
にいるレイヴンに向かって歩いた。歩いてみればたった数歩の距離
だ。なぜこの距離を縮めることを躊躇っていたのだろうか。

手を伸ばせば触れられるところまで距離を詰める。先ほどから視線
を合わせないレイヴンを正面から見てやろうとユーリはそこから更
に歩を進める。


「逃がさねぇから」


上着のはしを掴んで、うつむいたままだった顔を上げさせる。その
状態が苦しかったのか、レイヴンは顔をしかめた。掴んでいた手を
叩いて、離すように促す。その表情が、今まで見てきた顔に戻って
来たようだったので、言われるままに放した。


「…ほんと、青年は…、」


眉をハの字にして笑う。けほ、と咳払いをするとレイヴンはゆっく
りユーリの横を通り過ぎた。靴を擦るような歩き方が、静寂の中に
音を生む。
一歩ほどの距離が開こうとした瞬間、ユーリはレイヴンの腕を掴ん
でいた。思いのほか太い手首に少し驚く。しかし、力を緩めること
はしなかった。


「…おっさんが歩いてるところはよく暗くなるのよ」


思い出してもその光景は薄暗い。騎士団に入り、戦争を経て、自分
の人生が一変した。それでも悪くないかと思いかけていた時に、光
が現れた。明暗のなかった場所にしっかりと闇が現れた。自分より
も一回り離れた男が、しっかりと光の中に立っているのをレイヴン
は見てしまったのだ。


「お前さんと同じところを歩いてみたい、」


そこにどうしようもなく憧れ、同時に恐ろしくなった。手を出して
しまえば、彼も闇に染まってしまうのではないか。こちら側に来て
しまうのではないか。苦悩に満ちた彼の顔を見たくない、と言えば
嘘になる。いくらか試すうちに、戻れないところに踏み込んでいた。


「歩けばいいだろ。引っ張ってやるから」
「…そうだね。うん、その通りよ」


ユーリの目を見ても、以前のような恐れる気持ちはない。それはユ
ーリにとっても一緒だった。二人の距離が実際の距離と同じように
近づいたのは確かだった。









深く、漆黒の中にたたえる光が、自分の闇を浮かび上がらせるよう
で直視出来なくなっていた。

しかし改めて見てみると思いの他、柔らかい光だった。それは、自
分の故郷と言っても過言ではない、ダングレストの光に似ていた。













* * * * *
きっとアレクセイの命令で嫌な仕事をしていたと思うんです。
その反動がレイヴンに出てきたのかな、と。
そこはかとなく胡散臭いのは、周りが自分に近づかないように
するための予防線だったのかな、とか。
おっさんについての妄想は膨らみますね!

罪を犯した(で、あろう)2人は近いけれど、根底はまったく
違って、そこに引け目を感じているレイヴンが愛しいです。
レイユリレイ。どんとこい。















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