甘い匂いが鼻腔をくすぐる。帝都ザーフィアス城内。いつもは香辛
料の効いたカレーの匂いが立ち込める廊下に、真逆といっていい匂
いが漂っていた。

ことの発端はエステルだった。古い文献を読んでいる中に、「バレ
ンタイン」という風習を見つけたのだ。日頃お世話になっている近
しい人たちに、感謝の意をこめてプレゼントを渡す。

皇族の発言は影響力が大きい。街に広める前に、実験的に城内で行
うことになったのだ。料理長の制止を振り切り、厨房に立つエステ
ル。そしてその隣には、彼女が料理の喜びを知るきっかけとなった
黒髪の青年がいた。


「…なんでオレなんだ」
「フレンにも頼もうと思ったんですが…」
「いや、よくオレに声かけてくれたな、エステル」


まさか、城内にいる兵士を身内の兵器で全滅させるわけにはいかな
い。有り得た未来にユーリは身震いした。









                              甘いきまぐれ








「死ぬ。おっさん死んじゃう」
「大丈夫よ。魔導器はきちんと作動してるわ」
「おっさんいじめ反対!」
「あの子が言い出したら聞かないの知ってるでしょ」


シュヴァーンの私室では、リタによる定期検診が行われていた。肌
を露出したままの肩をぺちんと叩いて、服を着るように促す。半ば
本気で泣いているレイヴンをしり目に立ちあがった。

満面の笑みで、「明日リタに渡したいものがあるんです」と言われ
ていたリタにとって、レイヴンの意見はないものに等しい。それで
も、今朝入城した時には身構えた。いつもなら不自然なほど生活臭
のしないエントランス。そこにまで立ち込める甘い匂い。

以前どこかで読んだ文献を思い出し、エステルの意図していたこと
を理解する。何も知らないレイヴンは巻き込まれたに過ぎない。し
かし、一人でプレゼントを貰うのを躊躇うリタに帰宅を許してもら
えなかった。




***




「出来ました!」

オーブンから取り出した、円柱の塊。素焼きのチョコケーキだ。一
度目は分量を間違え、ただのチョコ焼きに。二度目はタイマーをか
け忘れ、ただの炭に。三度目にして、やっとそれらしい形になった。

満足そうにそれを眺めるエステルに向かって、ユーリは思わず突っ
込む。


「おい、ちょっと待て。デコレーションしない気か?」
「ユーリがやってくれるんじゃないんです?」
「せっかくここまでやったんだ。最後も自分で仕上げろよ」
「そう…ですね。頑張ります」


ユーリの料理の腕は、特に甘いもの関係は自身が好きなこともあり、
お城のパティシエよりも上ではないかといわれるほどだ。どうせな
ら見た目も綺麗なプレゼントをと考えていたエステルだったが、外
しかけていたエプロンをつけなおし、しぼり袋を手にして息巻いた。


「?ユーリ、まだ何か作るんです?」
「ああ。材料が余っちまうのももったいねーしな」
「素敵です!」


余り物で何が作れるかと考えていると、ふと頭に浮かんだ人物。ユ
ーリは自分の考えに苦笑しつつ手を動かした。



***



「オレも漢だ。女性が作ってくれたものを無下にするなんて、野暮
  なことはしたくない」
「だったら早く食べなさいよ」
「したくない…したくないが、こればっかりは…」
「レイヴン、偏食はいけませんよ?」
「いや、むしろ甘いもの摂りすぎないほうが健康には良いと思うの
 よね!」


食堂のテーブルには、切り分けられたケーキを前に冷や汗をかきは
じめるレイヴン。すでに2つ目を間食しきろうとしているリタ。最
後までケーキの造形を崩さずに食べるエステル。自分用に1ホール
作っていたユーリの4人が遅めのティータイムを満喫していた。

いや、満喫していたのは3人で、レイヴンにとっては拷問に近かっ
た。苦手な甘いものに囲まれ、あまつさえそれを食せと命ぜられる。
濃く淹れたコーヒーで流し込み、男としての矜持を保つ。

ご満悦のエステルは、来年から皆さんで取り組みましょうと意気込
んでいた。甘いものが苦手な者にとっては死刑宣告に近い。レイヴ
ンは項垂れて城を後にした。


「おっさん、」
「なによ青年」


城門を通り過ぎ、階段を下りている時だった。同じように城を出た
ユーリが呼び止める。手には今日作ったケーキ。おそらく下町の皆
に配るのだろう。しかし、甘い匂いを漂わせて近づいて欲しくない、
とレイヴンは切に願う。


「これやるよ」


別に小分けされた袋を投げる。数段下にいたレイヴンの胸元に綺麗
な放物線を描いて落ちた。わざわざ取りやすく投げてくれたものを
避ける訳にもいかず、手に取った。

がさりと袋の中で音をたてるもの。今日の流れから確実に菓子類だ
ろう。顔に似合わず甘党のユーリが寄越すもの。彼の手作りであれ
ば喜びたいところだが手放しでは喜べない。


「ユーリくーん、オレ様が甘いの苦手なの知ってるでしょ?!」
「知ってる。だからそれにしたんだ」


開けてみろと促され、おずおずと袋を開けた。どんな甘ったるい匂
いがするのかと思うと、予想外の匂いが袋から溢れた。香ばしい匂
い。中を見るとクッキーだった。


「…これは?」
「塩クッキー」
「しお??」
「酒に合うぜ?いらねーの?」
「いや、要る要る!欲しい!ちょーだい!」


思わぬプレゼントにレイヴンの表情は緩む。彼の心配りが素直に嬉
しい。心が満たされている時は余計な欲も出てきやすいものだ。エ
ステルやリタたちに聞いた話を思い出す。


「青年、知ってる?」


西日が差して、白い階段はオレンジ色に染め上げられていた。そこ
に影を落としながら階段を上り、ユーリの立っている段の一段上ま
で足を進める。


「バレンタインのプレゼントって、告白と一緒なんだって」
「そ、」


そんなことは知らないと言いかけたが、目線の少し上で嬉しそうに
笑っている男を見ると怒る気は失せた。あまりにも幸せそうに笑う
ので、毒気を抜かれたのだ。


「…じゃあ、今日はみんなに求愛されまくりだな」
「はは、そうかもね。でもおっさんはこれが一番嬉しいよ」


袋をがさがさと振りながら、貰ったものを強調する。告白に告白を
重ねられたようで気恥ずかしい。ユーリは顔を背けて息をついた。
少しだけ顔が火照る。けれど、今の時間帯ならそれも気付かれるこ
とはないだろう。ユーリは沈みかけている夕陽に感謝した。












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あっまーーーーーーい!!!
ごめんなさい、色々乙女でごめんなさい。
でもユーリの作ったものは食べてみたいです。
ものっそい難しい料理でも簡単だったぜ?とか言われてみたい…。
きっとこの後はホワイトデーの3倍返しを知って、レイヴンは愕然となります。
ユーリの手料理が食べられるなら、10倍返しでも安いですけどね!
























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