「…」 


兵士用の宿舎は非常に狭い。1人1つの布団が割り当てられている
ものの、寝返りをうてば誰かの体に足や手がぶつかった。眠りは浅
い。どうにか寝付こうと、ユーリは何度目かの寝返りをうった。






                              昔の話。









目の前に上等な革の靴。暗がりの中でぼんやりとした視界だったが、
だんだんとはっきり見えたそれは、およそ見習い兵士のものではな
かった。視線だけで足の上を追うと、小隊長だと知れる。

こんな夜中に何かと思い、様子を伺っていると相手も同じようにこ
ちらを見ているのが分かった。肩をとんとんと叩くと、ついてくる
ようにジェスチャーをする。小隊長に気づいているものはユーリし
かおらず、他は寝静まっていた。言わずと自分に向けての言葉だと
分かった。 

宿舎を出て、しばらく後について歩く。掃除の行き届いた城の廊下。
埃ひとつ無い美しいものだが、馴染めるとは思わない。少しくらい
汚れているほうが丁度良い。 


「入れ」


抑揚のない声で、目の前の部屋に入るように促される。扉には見覚
えがあった。いや、扉というより、その配色だ。金や紫のやたら派
手な色使い。部屋に入ると、予想通りの人物がこちらを待ち構えて
いた。 


「やあ、よく来たね。ここに入れたことを光栄に思うと良い」
「…」
「僕の名前はもう知っているね?そう、キュモール様だ」
「…何か用か、」 


入隊式には、小隊長含め隊長クラスの人間も新人兵士の前に顔を出
す。やたら威張り散らしていた男だとユーリは記憶していた。同時
に下町出の兵士を貶していたのを思い出す。その下町の男を自室に
呼び出すとは、一体どういうことなのか。当然の疑問にキュモール
は笑い出す。 


「そーか、そーだねぇ。分かるわけないか」
「…」
「君は下町の出だろう?その君がここで生きていくのは辛いとは思
 わないかい?」
「別に」 


ちくちくといびる為に呼んだのか。暇なやつだとユーリは息をつい
た。連日の訓練で疲労はピークだ。用事はなんであれ、とりあえず
横になりたい。 


「ユーリ、君が思ってるほどここは甘くないんだよ」
「…」
「僕はね、庶民は嫌いだ。だけど綺麗なものは好きなんだよ?」
「なに、」 


キュモールの上質な手袋がユーリの頬に触れる。骨格を確かめるよ
うに指でなぞった後、するりと耳の方へ手のひらを動かす。髪をと
かれながら、目の前の男が言わんとしていることに見当を付けた。
同時に左拳に力が入る。 


「僕を殴るかい?じゃあ明日ここにいるのは、君のお友達だ」
「…っ!」 


髪をといていた手が、乱暴に黒髪を掴んだ。引っ張られ、ユーリは
体勢を崩す。「お友達」とは間違いなくフレンのことだ。同じ志し
を持って入隊した。

ぶつりと、何本かの髪の毛が抜ける。痛みはあっが、それよりもい
かにこの状況を切り抜けるかに思考を傾けた。

キュモールは。
この男はフレンを人質に言うことを聞けと言っている。 


「僕が何を言いたいか分からないわけじゃないよねえ?」 


ひどく嫌みの籠もった、ねっとりとした言い方だった。赤いライン
の引かれた目元が楽しそうに細められる。 


「ほら。思った通りだ。やっぱり君は頭が良い」


抵抗する力を抜いたユーリを見て、更に笑みを深める。そして上着
に手をかけ、内の肌を撫でた。キュモールの手が、今日の訓練で出
来た傷に触れる。痛みに顔をしかめたが、それすらも楽しまれそう
ですぐに平静を装った。

どうなるかも分からないこの後のことに、息をひそめているとコン
コンと扉をノックする音がする。ぴたりと動きを止めたキュモール
が不機嫌に返事をした。 


「キュモール、騎士団長がお呼びだ」
「…分かったよ」 


並の用件なら取り合わなかっただろう。しかし、扉の向こうの男は
逆らえない名前を挙げた。仕方ないと嘆息し、キュモールは部屋の
出口へ向かう。 


「…いい趣味だな」
「フン、勘違いしないでくれるかい。その薄汚いのが勝手に入って
 来たんだ」
「そうか。ならば元の場所に戻しておこう」
「は、お仲間の情けかい?これだから下町育ちは…」 


ぶつぶつと喋りながら、キュモールはその場を後にした。残ったの
はユーリと伝言しに来た男だけだ。 


「…大丈夫か」
「あぁ…」
「歩けるか、」
「っ…触んな」 


近くまで差し伸べられた手を、ユーリは反射的にはたく。彼が悪い
わけではない。まだ頭の整理が出来ないのだ。あのまま誰も来なか
ったら?自分はどうしていたのかという自問が思考を覆う。 


「…騎士団長の用件は、彼の異動だ。暫くは帝都を離れる」
「…」
「安心して寝ろ」 


視線を合わさずに男は言った。ゆっくりと、言い聞かせるように。
その距離が、ユーリには心地よかった。一人ではさまよいそうな思
考を、彼が繋ぎ止めるように話す。 


「…あんた、名前は?」
「シュヴァーン。…シュヴァーン・オルトレインだ」
「入隊式欠席してた隊長さんか」
「表立ったことは好きじゃない」 


薄暗い中でも、オレンジ色の甲冑が鮮やかだった。長い前髪の間か
ら、蒼い瞳が見え隠れする。綺麗な色だと思った。    




間もなくして、キュモールの異動が発表された。フレンとユーリは
ルブランという教育指導係の下につくことになる。 


「ユーリ?」
「や、何でもねぇよ」 


城の中や訓練地で何度かシュヴァーンとすれ違うことがあった。上
官用に挨拶はするが、それ以上の接触はなかった。蒼い瞳と視線が
合いつつも、過度な心配をしない彼の態度に救われる。久しぶりに
晴れやかな気持ちでユーリは剣を振るった。











****************************************
ねつ造昔話。
映画が公開されて、情報が固定される前に書きたかった…。
キュモールは絶対、ユーリのことが好きだったんだ。とか。
城に何度か足を運んでいる時に、ユーリはジュヴァーンを見かけてる、とか。
夢をいっぱい詰めました。













ブラウザで閉じちゃって下さい
*気まぐれな猫*http://kimagure.sodenoshita.com/*