雨だった。
3日前から降り続いている雨はやむ気配がしない。溜まりに溜
まった湿気はは体を蝕む。室内に設置されている除湿機は、先
の見えない仕事を文句を言わずこなしていた。


「だ〜り〜ぃ〜」
「そうですか?私は慣れましたよ」
「…お前、ダルくねぇの?」
「だるさに慣れたと言っているんです。文句を言っても状況は
改善されませんから」
「…はぁ」


カレーパンマンはため息をついた。
褐色の肌も、黄金色の髪も今日ばかりはくすんで見える。目の
前にある机に体をつっぷした。パン工場の2階には、アンパン
マン達に用意された部屋がある。そこは、3人のヒーローが唯
一安らげる場所だと言っても過言ではない。食パンマンは、何
回かに分けて持ってきていた本に視線を落としていた。銀髪は
湿気をもろともせず、さらさらと流れている。うつむいた時に
邪魔なのか、今日は後ろで束ねていた。


「二人とも!」


部屋の扉が勢い良く開いた。リーダーのアンパンマンが息を切
らして入ってくる。


「おー、オツカレサン。何かあったのか?」
「西の川が決壊した。何人か巻き込まれたみたい」
「いけませんね、この雨です。被害が広がりやすいですよ」
「おう、行こうぜっ」



冷たい雨は降り続けていた。










                               この手を誰かの為に 










「もっと早く助けに来てくれれば…うちの子は怪我なんかしな
かったのに…」 


責めるような母親の言葉は、カレーパンマンの鋭い視線に止め
られた。川の近くで遊んでいた子供は三人。一人は自力で岸に
上がった所を助けられ、一人は川に向かって倒れてしまった木
に引っ掛かっていた所を助けられた。残りの一人は数百メート
ル流され、途中の岩にしがみついている所を助けられた。その
間に流されて来た木などで足を強く打ったようだった。幸い、
命に別状はないものの、完治するには少しばかり時間のかかり
そうな怪我を負った。その子供というのが、先ほどの母親に抱
えられている子だ。 


「気持ちは分かるけどよ、助かったんだからいーじゃねぇか」
「助からなかったかもしれないじゃないのっ?!市民を守るのが
あなたたちの仕事でしょうっ!」


苛立ちを含んだカレーパンマンの口調に母親は食いつく。自分
の子供が危険に晒された怒りのぶつけ場所を探している。


「…あのなぁ、」
「ごめんなさい。僕が早く見つけられなかったから」
「アンパンマン…」 


更に語気を強くしようとする仲間の前に、リーダーが立つ。穏
やかに言うアンパンマンに、両者共、口を接ぐんだ。 


「足が治るまで、僕が学校まで送り迎えをします」
「空を飛んでいる間に落とされでもしたら堪らないわね」
「…」


母親のやり場のない怒りの矛先が、アンパンマンに変わる。言
い放った母親自身、どうして良いか分からず黙ってしまった。
まるで子供だ、と傍観を決め込んでいたショクパンマンが胸中
で呟く。一息ついて、打開策を提案した。 


「それでは、私の車で送迎しましょう。パンを運ぶ時に一緒に
行けます。万が一事故にあったとしても、安全装置が着いてい
ますし、安心して乗って頂けますよ。いかがです?」
「…そ、それなら構わないけど…」


言いにくそうに母親は了承する。それを確認し、ショクパンマ
ンは笑顔でこの場を終結させた。




「たすけて」って確かに声がした。
でも、行くのを迷った。行かなかったらどうなるんだろう。
行かなかったら、本当に助からないんだろうか。
僕とは別の正義の味方がいて、きちんと助けてくれるんじゃな
いか。 
…そんなことを思った。    




「あーっ!!!マジむかつく、あんの親!!オレらが雨の日どんだ
け辛ぇか体感してみろっつーの!!」
「明日は晴れますかねぇ」
「スルーすんなよ」
「…仮に体感出来たとして、違う言葉が彼女から出てくるとは
思えませんね」
「それは…そうかもしんねぇけど…」 


ショクパンマンは落ち込むカレーパンマンを見ながら、業務日
報にペンを滑らせる。今回の事件の原因、考えられる予防策、
出動メンバー、負傷者数。数カ月前にアンパンマンが提案し、
毎日日替わりで記していく。 


「いずれにせよ、怪我人を最小限に抑えられて良かったですよ。
あなたの好きな正義も守られたのでは?」
「…」


カレーパンマンにとって、『正義』というものは、絶対で全て
だった。正義というものに属している限り、自分が存在出来る
のだということに誇りを持っている。故に、それを盾とするよ
うな言葉には反論出来なかった。


 「…見回り行って来る」
「おや、やる気ですね」
「あいつがとやかく言われんの嫌なんだよ」
「さすがの貴方も堪えましたか」
「…うっせー」 


すぐにカッとしてしまうのは性分だと、カレーパンマンは自覚
していた。この雨の中、必死で捜し救出した子供の親は、感謝
どころか批難の言葉を発したのだ。分かっていても腹が立つ自
分を抑えられなかった。代わりに抑えてくれたのは、アンパン
マンだった。  自分の怒りも、母親の言葉も、全て受け止めた
彼の顔が頭に焼き付く。あんな顔はさせたくない。少なくとも、
自分がさせるのは嫌なのだ、と、もう一度自分に言い聞かせる。 


「いってらっしゃい」
「…」


カレーパンマンは、心中を見透かされたような居心地の悪さを
感じ、無言で部屋を後にした。