「あれ、カレーパンマンは?」
「張り切ってパトロールへ行きましたよ」
「へー」 


入れ違いにアンパンマンが部屋に入る。働いたばかりなのに、と付
けたし、窓際の定位置に腰を下ろした。


「お疲れ様でした」
「…珍しい。そんな裏のなさそうな声」
「いつもと同じでしょう?」
「前言撤回。胡散臭い笑顔ー」


言い終わると力が抜けたように笑った。まだ水気が取れていないの
か、金色の髪が肌に張り付いている。邪魔臭そうにそれを払いなが
ら窓の外に目を向けた。相変わらず雨は止まない。外から僅かばか
り入る光りは、アンパンマンの顔に波模様の影を落とす。 


「…、」 


ふと、アンパンマンの頬が濡れているのに気付く。泣いているのか
と思い、一瞬息をつめた。 


「…なに?」
「雨が涙に見えてみとれていました」


数瞬間後、それは髪から滴った雫なのだと悟る。しかし、それだけ
では説明出来なかったのは表情のせいだと、もう一度相手の顔を見
た。  


「…『助けて』って、ちゃんと声がしたんだ」


その視線を受けてか、ぽつりと話す。まるで懺悔のように、その口
調は淡々としていた。 


「助けに行かないようにしてみたんだけど…ダメだったなぁ…」


それは自分に向けられた言葉ではないのだとショクパンマンは理解
した。  


「…私たちは、」    


同じ調子でぽつりと呟く。    


「そう、造られているんですよ  」








                                                       その手を誰かの為に2









救いのない言葉だった。否、二人共救いを求めているわけではない。
それとなく、事実を確認しているだけだ。その言葉を、アンパンマ
ンは特に反応せず受け止めていた。相変わらず、視線は窓の外だ。
少し、雨脚が強まったようで、大きめの粒がガラスを叩く。 


「僕、ちょっと休む。何かあったら起こして」
「…わかりました」


奥にある仮眠室への扉が、静かに閉まった。





雨、か。アンパンマンは呟く。だがそれは音にはならない。雨に掻
き消されたのか、もともと発していなかったのかも判別出来ない。
確かに疲れていたのだが、眠れないのだ。体は睡眠を求めていても、
目が冴えてそれは叶わなかった。 


「…」


湿気やカビに弱い自分の体を不便だと思う。寝そべりながら、天井
に向かって右手を上げる。掌の開閉さえ億劫だ。 


「機械になれば良いのに」


 何も感じず、不便と思わない理想の体。 


「スーパーマンがいれば良いのに」


 自分の代わり。誰も困らず、世界は回る。


  「…雨、か」  


今度はハッキリと、意思を持った声だった。          







「ただいまー…?」


見回りを終え、工場に戻ったカレーパンマンは異変に気付く。普段、
自分をわらかう時にくらいしか喋りかけてこない人物が、こちらを
見て明らかに安堵したのだ。 


「アンパンマンを、見ませんでしたか?」
「は?あいつ出掛けたのかよ?」


しかし、その顔はすぐにいつもの表情に戻る。今度は眉間に皺を寄
せ、赤い瞳を閉じた。 


「…分かりました。バタ子さん、外に出ますね」
「あ、はい。お願いします」
「ちょ、なんだよ、おいって」


すぐにでも外に出て行きそうなショクパンマンを引き止める。バタ
コの顔色も悪かった。


「…いなくなったんです」
「へ?」
「寝室で休むと言った後、行方が分からなくなりました」


少し言うのを迷った後、言わない時の面倒を考え、事実を端的に述
べる。


 「いなくなったって…この雨の中にか?」
「だから行くんですよ。あなたも突っ立ってないで行きますよ」
「あ、あぁ」


その雨の中から戻ったばかりなのに、と言いかけ止める。その理由
の要因がいなくなってしまったのだ。二人は勢い良く扉を開け、一
層強さを増した雨の中へ飛び込んだ。        





助けを求めていれば、助けに行く。
確かにそれは正義に違いない。
自分の行動以上の望みを持った者にとっては、
無能なヒーローであり、悪だ。
 同じ人物に正義と悪が存在するなんて矛盾している。
自分がそれなのかと思うと、笑うしかなかった。




アンパンマンの足は、いつの間にか川の近くに向いていた。雨の中
をさ迷うには体力がなさすぎる。その場所に着く頃にはすっかり疲
れきっていた。 


いつからだろうか。自分の最期を探すようになったのは。  
 

雨は容赦なく、体を蝕む。頬を伝って流れる雫が、汗なのか雨なの
か涙なのかも分からないほど濡れていた。

手近な木の根に腰を下ろす。じっとりと服も髪も濡れており、体は
鉛のように感じていた。微かに、人の気配がする。ショクパンマン
たちに見つかったのだろうか、と眉をしかめた。彼らは確かに自分
を必要としてくれている。だが、それは、時に重荷だ。


 (…めんどくさい) 


見つかった時に投げかけられるであろう問いの答えを考え、嘆息す
る。きっと何を言っても心配されるに決まっている。特にカレーパ
ンマンなど、正義の味方がすることじゃない、と言葉を並べるに違
いなかった。しかし、耳に届いたのは、どの予想からも外れていた。 


「やっと見つけたのだ、アンパンマン!」


 (…『のだ』…?) 


この雨音をものともしない声に、首を捻った。聞いたことのない声。
だが、声の主はアンパンマンを知っているようだった。面倒よりも
好奇心が勝ち、振り返る。そこには、真っ黒な人影が立っていた。