少し前から気になっていることがあった。夢にしてはリアル
で、現実にしては確率の低い話。


「ねぇ、シゲ」
「なぁ、ツバサ」


オレたちは以前に会っている。






・記憶の交差







幼い頃の記憶…と言っても、11歳くらいの時だ。両親とアキ
ラを交えて旅行に行って、その帰りだったと思う。国道近く
の割と広い道、外は暗かった。旅の疲れと、車の微弱な振動
で意識も薄くなりかけていた頃、突然車は急ブレーキをかけ
たのだ。一拍おいて、運転をしていた父親の方がドアを開け
外に出る。大丈夫か、怪我は無いか、などの声が聞こえて、
眠い体は好奇心で覚めた。


「…」


後部座席から体を乗り出して、フロントガラス越しに父親が
話しかけている人物に目を向ける。闇に溶けた琥珀色の瞳と
目があった。黒い髪をばさばさにさせて、顔に擦り傷を作っ
ている。

生きている目だ、と思った。
今まで見ていたどんな瞳より強い光を宿していたと感じた。
それが多分、最初。








車種で大体その乗り手がどの程度のお金を持っているかが分
かる。うまく行くかはタイミングと、その乗り手の性格。そ
してその日は運が良かった。勢いのままに家を飛び出したま
では良かったが、所詮小学生の身。お金はもたずに、すぐに
当たり屋で食っていこうと思った。最初はうまく行かずに苦
労したけれど、だんだんとコツを掴んでいたのだが。

いつも通りタイミング良く飛び出して、ぶつかった後、どん
な人間が出て来るかを確認して、言い訳は何がいいかと考え
て。車の中のライトがついて、中の人が見えた。目が大きく
て、今起きたばかりのような顔をしている。目があった時、
しまったと思った。当たり屋をやっていくのに、それはタブ
ーだった。






「大丈夫、」
「……どこも痛くない」
「…そう」


人の良いツバサの父親は、その少年を車に乗せ、近場の病院
へ連れて行く事にした。ワゴンの三列になっている一番後ろ
の列に、ツバサとその少年は乗っている。話しかけてもぼそ
りと答えるだけでその少年は目を合わそうとしなかった。

とりあえず応急措置で、頬の擦り傷に絆創膏がはってあるが、
どこか頼りない。外傷では判断できない何かが痛そうだと感
じた。それを言葉のどこかに含んだ状態での質問に、分かっ
たように答えた少年はツバサにとって新鮮でもあった。

周りにはいなかった人間だ。外見は同い年か、それより上。
同い年なら同じように学校へ行って遊べるのに。子供ならで
はの発想に苦笑した。ツバサは知能が、というより人間とし
て早熟だ。それ故に周りから重宝されがちだがそんなことは
望んでいない。特別な扱いで放されるよりも、分かり合う事
の出来る誰かを隣に置くことを望んだ。

なれ合うのではなく、隣にいるだけでいい存在。



シートの上での子供二人の間は、少し離れていたが、誰もそ
れを気にしなかった。突然の来訪者。子供でも警戒するのだ
ろう、と親は思っているのだろう。だけれどツバサはその距
離がもどかしかった。早くこの距離を埋めて彼が自分にとっ
てどんな存在になるか確認したい。そう思った。





「…上品な顔やな」
「え、」


訛りのある声にツバサは振り向く。街路灯が時々彼の顔を照
らすが、表情を読みとる前に暗くなり、結局は分からない。
そう形容されたのは初めてだった。今までは、可愛いとか、
女の子のようだ、とか、不快な言葉を投げかけられていたか
ら。だけれど、それは褒め言葉ではないことが分かる。


「世間知らずの、」
「…そう、見える」
「ああ」
「でも当たり屋だってことぐらい分かったよ」


顔の傷を心配する振りをして近寄った。闇に目が慣れて、顔
の輪郭も表情もそれとなくわかり始めていて。間近で琥珀の
瞳を見ながらツバサは囁いた。少し表情が硬くなったのが見
て取れる。


「…喋るんか」
「言わないよ、そんな面倒な事」
「面倒、」


そうだよ、と付け足して、ツバサは以前に見たことのある野
良犬を思い出した。道ばたで目が合った。餌をやろうと思っ
て近づいたのに、逃げていって。諦めて帰ろうとしていると
きに振りかえると、やはり目が合う。彼はそんな犬に似てい
るかも知れないと思った。


「帰宅途中に事故った運の悪い少年でいいじゃない」
「…お前…」
「何」
「…、何でも」


言いかけた言葉を飲み込んだ。あえて聞きはしなかった。身
を寄せた距離は縮めたままで、彼から離れようとはしなかっ
たから。






治療はすぐに終わった。大したことはなくて良かった、と父
親は胸をなでおろした。母親が思いだしたかのように彼の家
について聞き出した。両親は、連絡は、どうしてこんな時間
に。一瞬。本当に一瞬だった。自分でもそれが見間違いじゃ
あないかと思ったけれど。

泣きそうな顔をした。


「ねぇ、もう一泊出来ないかな」


ツバサの提案に両親とアキラは顔を見合わせた。それに合わ
せて少年がこちらをみる。もう、先ほどまでの無表情な顔だ。
父親が、いいよ、と一言言って頭を撫でる。それにツバサは
アリガトウ、と笑って答えた。


「…知り合いに民宿やっとる奴おんねん、案内させてくれへ
んか」


少年がそう言いだし、それに意見する者はいなく。特に大人
の彼等は、少年なりの配慮だろうと受け入れた。







「仲介料や…せやけど、家に、」
「戻らへん、聞かんといてや」
「…そうか」


当たり屋で失敗したので、別の収入口にカモを連れてきた。
なじみの顔、だけれど親は知らない。自分がどこにいるかも
知らない。宿泊料の何割かを封筒で貰い、それであと何日持
つか計算していた。いつまでもこんな生活が続くとは思って
いなかったが。まだ家には帰りたくなかった。


「家出中、」


話しかけるタイミングを狙っていたのか、さきほどまで聞い
ていた子供の声を聞いた。姿を確認する。


「何や、お前か」
「一緒に泊まらない、親には了承得てるんだけど」


にっこりと笑っていった。今の話を聞いたからだろう、こち
らが受け入れることの確信を持ったような表情だ。実際それ
を受け入れるなら、随分お金が浮く。ただためらったのは、
こんな扱いを受けたのは初めてで、当たり屋のカモに同い年
の少年がいたことも初めてだったからだ。


「…さっきも思たけど、甘いんやな」


両親が、子供に。彼はおそらくそういう環境で育って来たん
だろう。車の中で彼を上品そうな顔だと形容したのにはそう
いう意味がある。もちろん、整った顔を賛美しようとも思っ
たのだが。どこかの箱入り娘みたいな奴かと思ったけれど、
どうも様子が違う。本能的な警戒心を抱いていた。


「顔、合わすのが二年ぶりなんだ。いつも仕事でいないから」
「…そおか」


ひどく感情のこもらない台詞だ。悲しみも怒りも諦めも、ど
れにも属さない、けれど、どれも含んでいるような不思議な
声色。自分もこんな声色で話せるのならいいな、と思った。


「名前、何、」
「…」


答える気はなかった。黙っていると、促すような視線を向け
ながらこちらへ歩いてくる。少年の両親を思いだした。



「…サトウ」







『引き取ってやってもええ』


襖越しに聞こえた顔もよく分からない父親だという男の声。
彼の姓は藤村。自分のことが、ましてや自分の母親でさえも
体よくあしらわれたようなその言葉に憤りを感じた。最初に
子供だという概念がなかった。それを分かってしまう自分が
悔しかった。


「…サトウ、や」


こんな所で意地を張ってもしょうがなことは分かっていた。
だけれど、目の前に恵まれた少年がいる。自分が辛い状況に
いるとは今まであまり考えたことがなかった。だけれど、今
は、違う。


「下は、」
「…」


少年は諦めたようでため息をついた。この少年くらい家族も
あっさりしていたら良かったのに。必要の無いときだけ執拗
に家族を提示してくる。


「じゃあ、サトウ、いくつ」
「12、」
「そう、同い年なんだ」
「え」


てっきり年下かと思っていた。思わずついた驚きの声に、あ
からさまに少年は表情を変える。


「何それ、ムカツク。身長そんなに変わらないだろ、ほら」


かなり近くまで来て、手をかざす。彼の言うとおり5pも差
はないようだ。だけれど、少年の顔を代表するかのような大
きな瞳は、幼く見せる。この、距離に、慣れない。


「…自分、名前は、」
「教えない。好きなように呼んだら」


どうやらこちらの名前を教えなかったのが気に障ったらしい。
そんなことで怒るのだと少し安心した。この少年は妙に大人
びている…というか冷めている。人のことは言えないが。


「姫さん、て呼ぶで」
「そう言ったら教えると思った?別に構わないよ。分かって
ると思うけどオレ、男だから」
「知っとる」


言ってはみたものの、実際よくは分からなかった。ただ、男
だったらいいな、とは思った。何故だかは分からないけれど。
それでも姫さんと呼称した自分の駆け引きに苦笑する。


「…サトウって…オレと似てるね」
「…似てる、」
「こうしてるとすがりたくならない、」
「…」


両手の手首を捕まれ、一緒に下にぶら下げる。先ほどまでぴ
んとしていた背筋がまるくなって、その分下になって頭が
ちょうど胸の辺りに預けられた。少年は、自分に同意を求め
たのだが、少し信じられなかった。

もう少し強い人間かと。彼は環境に恵まれていると目には映
ったが、同じように心のどこかに虚を持った同士だと知れる。
だけれど決してそれを慰め合うような事はしないと。

下に引っ張られていた両手で少年の手をほどいて肩を抱いた。
そうして初めて、自分が少年にすがりたいと望み、少年がそ
れを望みやすい状況を作ってくれたのだと気付いた。家には
帰らない、二度と泣かないと思っていたけれど。涙を流して
あっけないものなんだ、と少し笑った。