寛永20年。長崎きっての、いろまち『丸山遊郭』南蛮との貿易も 進んでいるこの町は、江戸とはまた違った華やかさを見せていた。 町には異邦人も多く、活気に満ちている。丸山町に入る橋の脇、ひ と際華やかな廓があった。雲居屋(くもいや)は昨年、長崎での遊 郭業が許可されるのに合わせ建てられた新しい廓だ。 「恭さん、」 廓の中では客引きの準備が行われている。控え目な足音と同じく音 量を落とした声が障子越しに聞こえた。ゆっくりとした動作でかぶ っていた布団から出ると、着物を直す。髷ではなく、散切りにして ある頭を掻きながら、恭弥はあくびを噛み殺した。 「…起きたよ」 「それは良かったです。そろそろ開けようと思うんですが」 「ん」 短く返事をし、声のする障子を開ける。廊下には片膝をつき、廓の 主の登場を待っていた男が恭しく頭を下げた。 雲井はるかに鳴く1 「異国の船がまた増えたみたいだね」 「はい。今日も揚げ代は伸びるかと」 「治安が乱れるのは面倒だけど」 鼻で笑いながら廊下を歩く。内庭に咲いている櫻は夕日にさらされ、 より一層赤い。それを横目で見ながら恭弥は張り出し窓に向った。 すでに支度を整えている遊女たちが、今日の客を引くために外へと 声をかけている。 「あ、恭さん」 「今日も良い男ね〜」 恭弥が顔を出すと、客引きそっちのけで廓主に遊女が集まる。それ を適当にあしらいながら、口端を上げて恭弥は笑った。 「しっかり働きなよ」 『はぁ〜い』 黄色い声が重なり、見せ出しの中の行燈を灯す。それが遊郭の合図 のように、町は一層活気づいた。その様子を満足げに眺めていた恭 弥だが、人通りの多くなる道に見慣れた顔を見つけてしまい、げん なりする。その相手は目が合ったのが分かったのか、楽しそうに手 を振っている。 「ちょっと出てくるよ」 「はい」 声をかけると、恭弥はその足で外に出た。 「何やってるの」 雲居屋の前でうろうろしている不審な男に声をかける。かけられた 側はさして悪びれた様子もなく、先ほどと同じように手を挙げた。 「君の顔を見に」 「そんな言葉なら遊女たちに言ってあげなよ」 「あの子たち?」 「そう」 軽口の行き先を見せ出し窓に見える遊女に向かわせる。男はその言 葉通り、こちらを見て微笑んでいる遊女たちに目を向けた。しかし、 大げさに溜息をつくと、わかってないねぇ、と一言つけ恭弥に反論 する。 「駄目だよ、俺はひばり一筋」 片眉を器用に上げ、男は笑ってみせた。ひばりとは、この雲居屋の 遊女の名前だ。位は京で言うところの天神。高級遊女である。その 高級遊女と馴染みになれるほど遊べるこの男は、通りを挟んだとこ ろにある廓、金波楼(きんばろう)の主だ。 名前をシャマルと言う。 異国から来たものの、この地の文化に触れ骨を埋める覚悟らしい。 もともと黒い髪は、役人の目をすり抜けた。文書など書く時は『写 丸』と書くくらいだ。 「彼女は今日あなたの相手は出来ないよ」 「あら」 「また日を改めるんだね」 ひばりは指名客が多い遊女なので、なかなか一人の相手をすること は難しい。今日はその予定を立てられないのだと含ませながら、恭 弥は答えた。 「そーねぇ。来ても良いんだ?」 「…」 裏のある言い方で男は笑う。 挑戦するような口調に、恭弥は口を噤んだ。 「揚げ代払ってくれれば他の廓の人でも歓迎するよ」 探るような視線を避け、恭弥は言葉を転がす。ひばりの揚げ代は高 いけど、とつけたすことを忘れない。シャマルはその反応にまたお おげさに溜息をつき、恭弥の肩に手をおいた。 「恭弥もたまにはうちに遊びにおいでって」 「そんな暇はないね」 「そんなこと言わずにさ、」 しつこく言葉をかけるシャマルと、いい加減苛立ってきた恭弥の間 に一人の男が割って入る。腰には脇差を差しており、恭弥を背に置 く形でシャマルに向いた。 「おっさん、あんましつこいのはよくねーよ?」 「おーい、こんな所で抜きやしないよな?」 「さー?どうだろな」 「武、」 武と呼ばれた男は、恭弥の声で一歩下がる。雲居屋の主を守る為の 用心棒だ。齢は若いものの、腕は相当立つ。それを知っているシャ マルは、近づいていた距離を戻し肩を竦めた。 「はいはい、おっさんはこれで失礼するわ」 「そうかい?いつでも歓迎するよ」 「たまには言葉通りに受け取ってみたいもんだねぇ」 二人に背を向け、手を振りながら雲居屋を後にした。それを見送る と、恭弥は武に向き直る。そっと脇差の柄に手を触れると、囁くよ うに忠告した。 「これが抜けない喧嘩はしないでね」 「わかったよ、悪かった」 眉間に寄せていた皺を緩めながら武は了承する。声の裏にある凄味 は、そこらの一般人の比ではない。それが向けられるのも悪くない、 と胸中で呟くのを悟られないように、武は黙って恭弥の後につき、 雲居屋の暖簾をくぐった。 →次 ブラウザで閉じちゃって下さい *気まぐれな猫*http://kimagure.sodenoshita.com/*