その日、一隻の船から二人の男が降り立った。一人は枯茶色の髪の、
まだ表情に幼さの残る青年。もう一人は、金糸雀色の髪の整った顔
の青年。夕景の中に明かりづく町を遠目に見ながら、足を進めた。







                                                            雲井はるかに鳴く2








「へ〜、あれが遊郭か」


潮風に乗って、微かに喧騒が聞こえる。風で乱れる髪を掻き上げ、
もう一人の男に聞くように話す。


「あれ、ディノ兄は初めて来たんだっけ?」
「ああ」


答えた青年は意外そうに目を丸め、向き直った。フゥ太という少年
に差し込む夕日がきらきらと瞳を輝かせる。そうしていると、数年
前のそれと変わらない。ふとした表情は今でも子犬のようだ、とデ
ィーノは笑った。


「そっか。じゃあ、僕とあまり変わらないね」
「うちの国とは何か違うのか?」
「ん〜…僕もよく知っているわけじゃないから」


眉を寄せ、思いだすようにフゥ太は呟く。以前に来た時はほとんど
見る余裕もなかった。ただ、印象に残るのは凛とした立ち姿。


「でも、すごく位が高い感じだよ」
「高飛車ってことか?」
「え〜っと…Una famiglia nobileって何だっけ?」
「…高貴?」
「そう、それ!高貴なんだよ。遊女は」
「ふぅん」


二人の母国はイタリアだ。
近国のオランダは日本と出島を通して貿易し始めたのを聞きつけ、
早速市場調査に出たのだ。自分たちの髪色は目立つと思っていたが、
思いのほか多い異邦人の為向けられる視線は少ない。話しながら歩
いていても、さして問題はなかった。それ以外に要因があるとすれ
ば服装だ。

船内で、フゥ太が日本の服が着たいと言い、すぐさま用意させた着
物はよく仕立てられている。ディーノは自分の瞳の色と同じの鳶色
の着物。フゥ太は深緑色の着物を着、丸山遊郭へ向けて闊歩した。

町の入り口近くには橋がある。二つほど越えたところに遊郭はあっ
た。華やかな町並みはそれだけで目移りをする。その中でも一際華
やかな店。廓(くるわ)と言うのだ、とフゥ太が自慢げに話した。
ちょうどこの時間は見せ出し窓に遊女たちが並ぶ。今宵の客に、と
道を通る男たちに声をかけていた。


「…!」
「え、あれ?ディノ兄?」


朱色の囲いの中の遊女に目が止まる。視線を外すことを忘れて、デ
ィーノはそこに足を止めた。隣を歩いていたはずの人物がいなくな
り、慌ててフゥ太は来た道を戻る。


「えーと…目が合った」
「は?!」
「ここにする」
「わ、ちょっと待ってよ〜!」


外せなかった視線の理由が知りたくて、ディーノはその廓に足を向
ける。更に慌てたフゥ太は付いて行くしかなかった。


「ようこそ、雲居屋へ」


出迎えたのは、烏羽色の着物に身を包んだ男だった。どっしりとし
た構えには風格がある。冷やかしで来た客ならば、すぐにでも引き
返してしまうだろう。


「お客様?」


どうしていいか分からず、きょろきょろと見回すばかりの二人組に
声をかける。なかなか対応しないディーノに代わって、フゥ太が質
問で切り返した。


「あの、ここって『一見お断り』ですか?」
「いえ、そのような事はございませんよ」
「そうですか。良かったね、ディノ兄」
「ん?ああ」
「もー、そわそわし過ぎだよ」


いつまで経っても落ち着きのない年上の青年にため息をつきながら、
フゥ太は笑う。そんなやりとりに口元を緩ませながら、烏羽色の男
は続けて声をかけた。


「どの遊女かお決まりですか」
「あー…名前は分かんねぇな。外にいた、黒髪の、」
「ああ、結ってなかった人?」
「お、それ」


記憶の中の遊女が二人の中で一致する。道行く人に声をかけていた
遊女と違って、ただ一人、見せ出し窓の奥で座っていた遊女。ただ
ただ外を見ているだけで、声などかけない。その視線に捕まったの
だ、とディーノは胸中で呟いた。


「…ひばりでございますね」


一拍置いて、男は呟く。見せ出し窓にいる遊女で、髪を結っていな
い人物など他にはいなかった。その表情はどこか硬い。何故か、と
ディーノが問う前に次の質問がされた。


「位は天神ですが宜しいですか?」
「へ?」
「高いけど大丈夫かってこと」
「ああ、大丈夫だ」
「それではご案内致します」


手慣れた案内に、杞憂だったか、とディーノは一人ごちる。入口か
ら階段を上がり、奥の間。位が上がれば部屋も変わる。遊女に宛が
われた部屋の大きさは、その遊女の人気を表す。ひばりの部屋は間
違いなく、この雲居屋で一番の大きさを誇っていた。

ゆっくりと襖が開かれると、何とも言えない東洋の香りが二人の鼻
腔をくすぐる。嫌いな匂いではない、と気にせずに部屋に入った。
部屋の更に奥。一段高い畳の場所には一人の遊女が座っている。見
せ出し窓にいる時となんら変わらない姿だった。

派手な着物に髪を垂らしている。結った髪ばかりだと思っていたデ
ィーノにとって、それはとても新鮮なものだった。何より、その紫
苑の瞳は心を震わせる。


(あの目に映るものを、)


先ほどからにこりともせず、こちらを見ているだけの遊女。


(オレだけにしてみたい)


ディーノの口端はゆっくりと上がった。









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