月は高く、星の瞬きがよく見える。同じくらいに賑やかな遊郭を後
にして、港の方角へ歩く男二人。一人は随分と意気消沈していた。
慣れない草履に、指が痛くなったこともあり、その背は丸くなるば
かりだ。


「納得いかねぇ」
「まぁまぁ。最初はしょうがないよ」
「喋れもしない、近づけもしないんだぜ?」
「言ったでしょ、高貴だって」
「高貴ねぇ」








                                                            雲井はるかに鳴く3








遊郭での遊び方は特殊だ。位の高い遊女となれば、それこそ踏まえ
なければいけない事柄が多かった。遊女と話すまでに、最低3回は
通わなければならないこと。これがディーノを悩ませていた。1度、
2度目で己の財力を示すべく、酒や食事、指名以外の遊女を呼びつ
ける。一定値を満たせば、3度目の指名にも応えてくれ、更に次の
指名の時に初めて話すことが出来ると言う。その仕組みを知ってい
れば、と言いかけてディーノは口を噤んだ。きっと知っていたとし
ても、指名したに違いない。あの瞳に捉われたのだ。


「で、今日はどこに泊まるんだ?」
「ディノ兄、全然話聞いてなかったの?」
「う、悪ぃ」


自分が動かずとも周りが動いてくれる環境に慣れていたディーノは、
フゥ太の苦言に頭が上がらない。二人は昔からの馴染みだ。家の立
場こそディーノの方が上だが、二人の間に家柄は関係ないようだっ
た。


「出島にある僕ら向けの宿が取ってあるよ」
「ふぅん」


視線の先の港を指す。そこには人口島である出島という土地が広が
っている。鎖国中の日本が貿易を許した土地であるものの、日本の
地に住まわせるつもりはないらしい。出島には、邦人用の宿泊施設
が立ち並んでいた。遊郭に並ぶものと多少造りは違ったようだった。
フゥ太の案内で、出島の街中を歩きながらそんな感想を持つ。


「お、きみたち同郷の人?」


二人の前に、一人の男がふらりと現れた。出島にはイタリアやオラ
ンダだけではなく、中国の人間も多い。比率で言えば、中国人の方
が多いくらいだ。珍しいものでも見るかのように、頭からつま先ま
でを舐めるように視線を動かす。さすがに居心地の悪さを感じ、問
い返した。


「誰だ、あんた」
「あっちの遊郭の『金波楼』ってとこで亭主してる、シャマルって
 者だ」


着物の衿をぴんと引っ張ると、シャマルと名乗る男は頭を下げた。
黒髪ではあるが、日本人ではないらしい。瞳の色が僅かばかり灰色
を帯びている。口の端を片方だけ上げて笑みを浮かべた。


「まぁ、時間あったら遊びに来てよ。割引してやるからさ」
「悪ぃけど、しばらくは行かねーと思うぜ?」


あまり良い印象を受けず、ディーノの対応は少し雑になる。それに
感づいたのか、隣にいるフゥ太は心配そうに二人の様子を見ていた。
やはり相手が気になるのか、あまり視線を外そうとしない。


「何、もうお気に入り見つけちゃった?」
「雲居屋のひばりって言う遊女だ」
「…」


早めに話を切り上げたくて、特にごまかしもせずに伝えた。同業者
なら知っているだろうと振った話だったが、シャマルの表情が一瞬
消える。本当に一瞬だった為、実際そうであったか判別がつかなか
った。先ほどまでの、にやけた顔に戻る。


「へぇ、お目が高いな」
「なんだ、やっぱり知り合いなのか」
「俺は常連。さしずめ、好敵手ってとこか?」
「好敵手って…遊女だろ?」
「ま、そーだな。そりゃそーだ」


今度は確実に表情を変えていた。表面上ではなく、面白い、とでも
言いたげな笑みだ。ディーノは意味が分からずにそれを見ているだ
けだったが、シャマルから視線をそらす。引き留めて悪かったな、
と言うと遊郭の方へ歩いていった。狐に化かされたような、何とも
すっきりしない気持でそれを見送る。


「…随分、馴染んでるね」
「廓主って言うくらいだからな。こっちの水が合うのかもな」


意外そうに呟くフゥ太にディーノは答える。足は既に、元々進もう
としていた方向に向き直っていた。風向きが変わると、遊郭の喧噪
が聞こえてくる。それに後ろ髪をひかれつつ、二人は宿屋を目指し
た。









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