日が高く昇り、長崎の地を明るく照らしていた。今日も、港には
大きな船が行き交い、街を賑わせている。夜とは違った顔を見せ
ている遊郭街を、一人の少年が駆け抜けていった。










                             雲井はるかに鳴く4










「邪魔するぜ」


白銀の髪をうしろで一つにくくった少年が雲居屋の暖簾をくぐっ
た。紺の着流しの懐に片手を入れている。空いた片手には束ねた
紙を持っていた。迎え入れた雲居屋の主は、玄関口の一段上から
視線で動きを制す。


「物騒な物を持ち込まないでくれるかな」
「…何のことだよ」


とぼけるつもりか、と嘆息しつつ、恭弥は相手の手を扇子で指し
た。僅かではあるが、びくりと懐に入れた手が震える。


「そのおもちゃ、きみには荷が勝ち過ぎているよ」


一段上から言われているだけではない圧迫感を少年は感じていた。
恐る恐る顔をあげ、相手を見やる。恭弥の後ろには用心棒だと言
われている武が控えていた。刀に手はおいていないものの、いつ
でも抜けるような威圧感があった。あれは物騒なものではないの
か、と少年は舌打つ。彼の名前は隼人という。金波楼の小間使い
だ。


「今日は何の用、」
「手紙だ」


扇子は閉じたまま、右手から離して質問する。返ってきたのは、
折りたたまれた紙の束。丁寧なことに香の薫りが染み込ませて
ある。まるで遊女からの手紙だ、と嘆息しつつ、それを開く。
内容を知らされていないのか、一読している間に隼人は手紙を
覗きこもうと少しかかとを上げている。しかし、恭弥は内容に
目を通すとすぐに哲に渡した。


「ご苦労さま。帰っていいよ」
「…言伝は?」
「明朝にでも返事をするよ」
「分かった」


雲居屋の主人を気にしつつ、隼人は外へと出て行った。その姿
を見送っていると、背後にいた武が口を開く。


「なんか、敵意むき出しだな」
「それが本当なら、君の刀が抜かれているんじゃない?」
「殺気じゃねーもん」
「そう」


敵意と殺気の区別出来るのか、と胸中で感心する。そういった
ことは彼に任せておいて間違いなさそうだ。二人の会話を傍ら
で聞いていた哲は、手紙に目を通して香に匂いに気がついた。
この香は主人の好きなものだ、と顔をしかめる。手紙の内容は
定期健診の知らせだ。蘭医学を修得している彼は、この一帯の
遊女たちの担当医でもある。集団で生活している以上、流行病
などには特に気を遣う。哲は診察の必要がある遊女を確認しに、
廓の奥へと歩いて行った。


「…あの"おもちゃ"、調べます?」
「面倒だけど仕方ないね」
「面倒は俺が引き受けるからさ。休んでていいっすよ」
「…そうしようかな」


恭弥はあくびを噛み殺しながら、武の提案に乗ることにした。
自室に戻り、ひと寝入りする。貴重な睡眠時間だったが、小一
時間ほどして目が覚める。外を見ると、夕闇が近づいていた。
この遊郭も活気づく時間帯だ。廊下を歩く控え目な音がした。
その人物に検討をつけ、恭弥は部屋の中央に座る。壁越しに、
準備を始めた遊女たちの甲高い声が聞こえている。


「本日も出られますか」
「最近来ている外人がいるからね」
「次が三度目ですね」
「常客になると良いけど」
「…そうですね」


即答しかねる、と哲は一拍置いて答えた。この部屋には仕掛け
がある。仕掛けと言っても大層なものではないが、掛け軸の裏
に通路があるのだ。人一人が通れるほどの狭い通路。その通路
を抜けると、ある遊女の部屋に出る。出口には大きく広げた内
掛けが掛けられており、うまく通路を隠していた。通常、客も
そこまで意識は向かないので、この通路は廓主である恭弥と哲
しか知りえないものだ。

恭弥は今着ている着物を脱ぎ、新たに肌着を身にまとう。傍ら
では哲が細やかに動いていた。一枚、二枚と着物を重ね、彩り
を揃えていく。髪はには、他の遊女の髪で作ったまとめ髪を麻
糸で結う。前髪をあげ、眉つぶしをし、新たに筆で眉を描く。
目尻には細い筆で化粧墨を塗り、より黒く縁取った。最後に唇
に、小指の先ほどの赤を置く。


「恭さん、」


呼ばれた恭弥は指についた赤を布で拭い、哲の手を取った。手
のひらを自分の左手に重ね、そこに指で文字を書く。


『いまは ひばり』


形の整った唇が綺麗に弧を描く。何度見ても心臓に悪い、と哲
は胸中で呟いた。目の前には、先ほどまでの廓主ではなく、こ
の雲居屋の看板遊女、ひばりがいる。支度を終えた恭弥は、例
の通路を通り、自分の部屋へと赴いた。それを哲は見送り、深
々と頭を下げる。

鎖国政策を行っているこの国が、唯一諸外国との通商を許した
長崎。その治安を守るために、恭弥は手段を選んでいなかった。
治安が乱れるのは、欲望が行き交う街から。即ち、そこを掌握
することが出来れば、治安を守ることに直結する。何より、欲
望の分、情報も入り易い。そして、恭弥は誰よりもばれるかば
れないのスリルを楽しんでいた。


「ようこそお越し下さいました」
「ひばりはいるか、」
「かしこまりました。ご案内致します。」


日が暮れ、遊郭の時間が始まる。雲居屋の入口では、常客にな
るかを見定められているディーノの姿があった。







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