守ると、決めたのに。その為に刀を手にしたのに。

膝の上で固く握った拳の甲に、涙がぽたりと落ちた。体温と同じほ
どのそれは、感触だけ残し掌の方へ流れて行った。


「…姉さん、」


横たわる赤髪の女性。灯篭に照らされる頬は、生前の赤みを僅かに
残していた。










                              雲井はるかに鳴く13











出島についた船から、一人の青年が降り立つ。数か月前に降り立っ
た時とは僅かに足取りが重かった。その青年に向かってディーノが
ばたばたと足音を立てて駆け寄った。


「フゥ太、戻ってたのか!」
「うん。さっき着いたんだ」


迎え出てくれたディーノに向かって、フゥ太はにっこりと笑う。2
人はもともと自分の商家を継ぐ為の勉強の一環として日本に来てい
た。一定期間で戻る予定だったが、ディーノはひばりを諦めきれな
く長崎に残っていたのだ。母国に報告を終えたフゥ太は再びこの地
を踏んでいた。


「…あー…親父何か言ってたか?」
「しっかり勉強しろ、バカ息子。だって」
「はあ〜…相変わらずだな」


ディーノはイタリアを代表する商家の人間だ。当然、本人にかかる
期待も普通の人以上。自分がいないところでもきっと口うるさく言
っているのだろうと予測した言葉だったが、やはり予想通りのこと
があったと知り、大きくため息をついた。


「お前んとこも変わりなかったか?」
「…大丈夫。みんな元気にやってるよ」
「そっか」
「こっちは変わりない?」
「ああ、良い街だよ。活気もあって、商業も活発だ。何よりみんな
 笑顔なのが良いな」


フゥ太の家も商家だ。ディーノの家には及ばないがそこそこ大きい。
出国前に国の領主ともめていたことを思い出し尋ねる。しかし、す
ぐに問い返され深くはきけなかった。潮風が吹く中、ディーノは辺
りを見回しながら問いに答える。


「…そう、だね」
「…どーした、やっぱ国でなんかあったのか?」
「僕、話さなきゃいけないことがあるんだ」
「うん?」
「僕が…僕が弱かったんだ。もっと強くいることが出来れば…」


彼についての印象は笑顔だ。穏やかな笑顔。きっと辛いことがあっ
てもなるべく周りに心配をかけないようにその表情を保ってきた。
2人は幼いころからの友人だ。その中で、フゥ太の今のような表情
は見たことがなかった。眉をよせ、言葉の一つ一つを噛むように苦
々しく口を開く。

今までフゥ太が表に出さなかったもの。一番近い友人にでさえ知り
得なかったことを、ディーノはこの時に初めて知る。






障子の隙間から、柔らかな光が差し込み目が覚めた。どれくらいの
時間だろうか。恭弥はゆっくりと瞼を持ち上げる。昨日の騒動は夜
半過ぎには鎮静していた。しかし、そこから来る疲れは取れない。
結局、ひばりとして見世出ることもなく部屋にこもって資料の洗い
出しをしていた。今まで摘発してきた密輸入。その流通経路。また、
それらに関わった人物。一通り見るか見ないかで、いつの間にか眠
っていたらしい。


「少し外に出てくる」
「それなら私も、」
「店を頼むよ」
「…は」


まだ寝静まった見世の中で、哲だけが微動だにせず入り口近くの定
位置に座っていた。それを見つけると恭弥は声をかけ、まだ白んで
いる遊郭街に足を向ける。考えをまとめるために、一度気晴らしを
しようと考えたのだ。夜の方が騒がしいこの街の朝は、嘘のように
静かだ。まるで昨日の出来事が夢うつつの中のような気がしてしま
う。

朝もやが立ち込める街。朝日が差し込み、乱反射を繰り返す。その
街並の中で人影を見つけた。同じように散歩しているのかとも思っ
たが違う。広い通りの反対側の端を歩いていた人影は、間違いなく
真っ直ぐにこちらに歩を進めていた。影になっていた輪郭がしだい
にはっきりすると、その人物に思い当った。


「…?君、何しているの」


金波楼に出入りしている隼人だ。こんな朝方にふらふらと出歩くよ
うな人柄ではなかった気がする。それは自分も同じか、と少し躊躇
ったあと、もう一度相手を見やり様子がおかしいことに気がついた。
目が泣き腫らしたようにふくれている。いつも眉に刻まれている皺
が更に深まっていた。


「姉さんが死んだ」
「…そう、残念だったね」


幾ばくか予想していた答えに息をついた。雲居屋でも金波楼でも阿
片が流行っていた。すぐに死に至るものではないが、使用方法を誤
れば例外ではない。精神や肉体を蝕むことを目の当たりにしていた
恭弥にとって、知り合いの死も考えに含まれていた。しかし、こと
はそれほど容易ではないことを知る。


「あんたのせいだ」
「?」


いつもと違う様子。泣き腫らした目だけではない。その瞳には明ら
かに憎悪の念が込められている。親の仇でも見るような鋭い視線。
自分の生業を考えれば恨まれることも分からなくもないが、彼から
そういった類の視線を向けられるとは思ってもみなかった。


「何であんたは全部持って行くんだ」
「なに」
「返せよ」
「…」
「返せっ!!」


想定外の出来事は重なるもので、隼人の手に小刀が握られていたこ
とを認識するのに時間がかかった。その結果、その刀が振り上げら
れるまで恭弥は何の反応も出来ないままそれを見ているしかなかっ
た。

死を覚悟した。
それほど、その刀には憎しみが込められていた。

走馬燈は見ないな、と目を瞑りその瞬間を待つ。しかし、それも一
瞬でがきん、と刃のぶつかり合う音で目を開ける。自分と隼人の間
に白い棒のようなものが下から上に振り上げられた。そして見慣れ
た男が態勢を崩したのか、地面に転がる。


「…っ武」
「いてて…はー、間に合ったな」


そこまで見ると、さきほどの白いものは彼の抜いた刀身だったこと
を理解する。寸でのところで、抜かれた刃が隼人の刀をなぎ払った
のだ。払われた刀は少し離れた地面へがしゃりと音を立てて落ちた。
武はというと、いつもと変わらない笑みを恭弥に向けゆっくりと立
ち上がった。


「どうして」
「俺はあんたの用心棒。守るのが仕事だぜ?」


心外だとでも言わんばかりに口をゆがめ、武は笑う。しかし、隼人
と恭弥の間に体をねじ込むことを忘れない。体で示した方が分かり
やすいだろうとでも言う様に、凶刃を向けた相手からかばうように
恭弥を背に隠す。

確かに彼の言うとおり、武は恭弥の用心棒だ。しかし、ひばりと恭
弥が同一人物だと知れた次の日には行方をくらましていた。その数
日後に、今回の阿片の騒動だ。怪しまれても不思議ではない。

恭弥は真意を測りかねていた。分からない。考えても分からないが、
自分を守ろうとするその背は、若干の安心を恭弥に与えていた。









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