情にほだされたのはいつだっただろうか 其の国は大陸の外れにある、小さな国だった。豊かな自然に恵まれ、 穏やかな気候の此の国には、姫君を君主とした君主制度がある。 トップに立つのは常に女性であり、男児が生まれた場合には其の后が 王となるのだ。 古くから続くこの制度にはとある風習があった。 其れはとても根が深いものだった。 深く、深く、親の愛情よりも深く。 「のう、あの野山の向こうには何があるのじゃろうな」 建国から同じ血筋を受け継ぐ此の代の姫は大層綺麗だった。其の透き 通る肌や、艶やかな黒髪。薄紅色の唇からは、琴の音のような声がす るのである。 国の者は彼女を奉り、尊敬し、愛していた。 国のほぼ中央に建設されている城の最上部、景色が見渡せる所に姫は 一人ぽつりと呟く。時折吹く風に、髪飾りの鈴が鳴った。 「太陽の出づる方角には此処とは別の国が。沈む方角には海と呼ばれ る大きな池が御座います」 「そうか、大きな池か。お主は何でも知っておるのう」 誰もいない筈の部屋から独り言への返答がした。否、初めから独り言 ではなかったのだ。応えた相手に姫は笑った。 彼は今の姫の母、つまり先代の姫が病死した時から仕えている。 と言っても、表立った行動はしない。隠密である。 何もかも恵まれている此の国は、他国との干渉、交易をしない。他国 からしてみれば未知の国なのだ。 当たり前のようにされている、男性主体の王制でさえ此の国では存在 しない。 一人の姫を中心とした緩やかな時間が流れているだけだ。 そんな国に交易を求める者や、あわよくば領地を取らんとする者もいる。 そういう輩から此の姫を守るのが彼の役目だ。其の為に手段は選ばない。 命すら賭ける。目的達成の為なら何かを惜しむ事等しない。 彼の名はソロン。此の平和な国の隠密部隊の隊長だった。 「ソロンよ、妾に仕えて何年になる、」 「は、五年と十月、二十日に御座います」 「…時が経つのは早いものと言うが…のう、ソロン」 「は」 「そろそろ仕える主が代わるかもしれぬぞ?」 「…それは、」 ご懐妊ですか、と尋ねようとすると、姫は其の整った唇で笑った。 あまりにもあまりにも綺麗で。此の世の幸せを詰め込んだような顔を していたので。ソロンは口ごもり、物陰で嘆息した。 汚れの無い笑顔。 自分とは程遠い存在。 彼女が白ならば世の中は真っ黒に出来ている。 見下ろした山々には今年も薄紅色の花をつけた木々が生い茂っている。 其の色は、目の前の女性の頬の色と同じだった。自らの腹を愛おしそう に撫でている姫と。 『どうか…命だけは…!!』 仕事上、こう言った類の言葉を聞くことは良くある。しかし、仕事だ。 男だろうが女だろうが子供だろうが老人であろうが。振り下ろす苦無 の力を緩めることなどない。命乞いをする人の顔等見ない。それは、 見慣れたものであると同時に意味を成さないものだった。 其の日まで、確かにそうであった。 「忌み子に御座います」 産婆は姫にそう告げた。取り上げられた子供は二人いた。双子である。 此の国には他国との干渉を避け続けた結果、幾つもの風変わりな風習 があった。 其の内の一つ。『双子は忌み子。国に災いをもたらす子』とされている。 母親はどちらか一人の子を選ばなければならない。選ばれなかった子は 殺される。其の風習は姫とて例外ではなかった。 「妾に選べと言うのか」 「お選び下さいませ」 瓜二つの子供の頬を撫でる。 「妾に子供を殺せと言うのか」 「民に出来て姫に出来ぬことなど御座いませぬ」 屈んだ横顔にさらさらと黒髪が流れる。 「妾の…わら、わの子じゃ…」 「決まり事ですゆえ」 整った顔立ちが次第に崩れていく。 「後生じゃ…命だけは…っ」 姫と老婆の掛け合いは長く続かなかった。産後である姫は肉体的にも 精神的にも参っていた。其の上に此の仕打ちだ。ソロンは其の様子を 物陰から盗み見ていた。 過去に、子供の命だけは助けて欲しいと命乞いした母親がいた。 其れを思い出していた。 どんなに辛い事があっても、この国の為に笑顔であった人が、其の国の 為に涙を流すことになろうとは、なんと皮肉な事か。 老婆を下がらせ、姫はぼうっと外を眺めていた。傍らには二人の子供が すやすやと寝息を立てている。 姫の微笑みと一緒にあった薄紅色の景色は、姿を変え白銀の世界に なっていた。 「お体に触りますよ」 「…構わぬ」 ソロンは珍しく姿を現した。もちろん周りへの注意を怠らない。部屋 には、寒々しい風が吹き込む。姫の唇は少し紫色へと変わり始めていた。 其れが、自らをわざと痛めつけているようで見ていられなかったのだ。 「…他の国の姫はこういった時はどうしているのかの」 「他国にこう言った風習は御座いません」 「…そうか。…悪しき風習なのだな」 「…お答えかねます」 建国から根を張っている此の風習は、今までもこれからも変わりない。 其れは、姫自身が一番分かっていた。姫は初めて国を憎んだ。 「ソロン、肩を貸してはくれぬか。…少し、泣きたい」 「…申し訳ございません、移り香があってはなりませんので」 「そうか…お主は常に仕事を一番に考えるのじゃな」 やっとの事で出した弱音にソロンは応えなかった。 其れに姫はどこか安心したように、弱々しく微笑んだ。 チリンチリン 髪飾りの鈴が鳴る。すると、寝ていた子供の片方が目を覚ました。 宙に手を伸ばし、上に下にと動かしている。母親を捜しているのかの ようだ。其の子は、姫に似た大きな瞳で部屋を見渡した。そして、 ソロンを見つけて微笑んだ。 「…」 私の手は血で汚れている。私の体は罪で汚れている。 此の子はこんなにも綺麗なのに、私に微笑みかける。 「…お主が気に入ったのかの」 「滅相も御座いません」 「どうじゃ、此の子を貰ってはくれぬか」 「は、」 「弱音を言ってすまなかった。妾は戦うぞ」 ソロンは、今までに見た姫の表情の中で、一番凛々しい顔を見た。 先程までとはうって変わり、目に光が宿っている。しかし、其の表情と 言葉を繋げる事が出来なかった。どういう意味なのだろうか。 しばらく黙っているソロンを見て、姫は部屋の奥から小さな箱を持って 来た。 「此は国一番の技師が作ったものでの、次代の姫が持つ鈴じゃ。妾が 頼めば二つ目を作ることなど造作もない」 言いながら箱を揺らして見せた。すると中から澄んだ鈴の音がする。 其れは、姫の鈴に引けを取らない美しい音色だった。代々此の国の姫 は、先代から鈴を受け取る。其れは姫の地位を約束された印。 「妾が悪しき風習を変えるまで、此の鈴と一緒に此の子を預かっては くれんかの。此の鈴を持っていれば帰って来る時も容易いじゃろう」 「…」 「妾に近しい者でも風習に反する事は認めぬ。其の点、お主は他国にも 足を運び、考え方が此の国の者ではない」 「…しかし、」 「…他の者には頼めぬ。ソロン、お主に頼みたい」 「…」 ソロンは何も言わないまま、シルクの布にくるまれた赤ん坊と鈴を 手渡された。其れを見届けた姫は、あの薄紅色の幸せな世界で見せた ような顔で微笑んだ。 「隊長、其の子供は…」 「此の国での最後の任務ですよ。山に捨てます」 「殺さないんですか」 「…私に何か意見がありますか?」 「い、いえ…」 ソロンの隠密部隊は其の日の内に出奔した。数人の黒装束の部隊は 白銀の世界に姿を消した。 ソロンは其の日を境に、部下に秘密をつくる。極秘任務以外の秘密。 いつ来るか分からない其の時の為に、此の赤ん坊を生かす。 私情を挟んでの任務は此れが最初で最後だった。 次 ○ええと、TOL小説初書きがこれでいいんでしょうか(聞くな) ジェイたんが好きなのに、出てこない!あれ!ソロン出っぱなし! しかも、ジェイのお母さんがいっぱい!なんじゃこりゃー!! …と思ってもここまで見てくれた方、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 まだ続きます。ごめんなさい。 私、もっと莫迦なモゼジェイが書きたいんです(え)